『痾』麻耶雄嵩 | 京都市某区深泥丘界隈

京都市某区深泥丘界隈

綾辻行人原作『深泥丘奇談』の舞台、京都市某区深泥丘界隈を紹介します。内容は筆者個人の恣意的な感想に過ぎず、原作者や出版社とは関係ありません。

 麻耶雄嵩先生は、三重県出身で、綾辻行人先生と同じく京都大学推理小説研究会に所属し、1991年『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビューされました。第二作目が超難解な問題作にして代表作である『夏と冬の奏鳴曲』で、『痾』はその続編となる三作目の長編ミステリです。『夏と冬の奏鳴曲』で描かれた和音島の連続殺人事件の当事者となり、その後遺症で記憶喪失になった如月烏有が、記憶をとり戻そうと寺社に連続放火すると、かならずその現場から焼死体が発見されるというお話です。事件そのものに連続性はありませんが、『夏と冬の奏鳴曲』の続編でその内容についても触れられていますので、『夏と冬の奏鳴曲』を読んでから『痾』を読まれることをお勧めします。

 

 
 写真は京都国立近代美術館です。前回『京都府警あやかし課の事件簿』のところでご紹介した平安神宮の大鳥居の目の前にあります。雑誌記者である如月烏有が、ここで開催されている「キュビズム展」を取材します。キュビズム絵画は『夏と冬の奏鳴曲』でも非常に重要なアイテムとして登場し、『痾』においてもその流れを引き継いだ形をとっています。キュビズムとはパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始された現代美術の大きな動向で、非常にざっくりと説明すると、「描く対象をいろんな角度から見て、あらゆる見え方を細かい四角(キューブ)の断片にして一つの絵に描き込み、現実とは異なる新しい世界を構築し、〝存在の真実″を提示しようとしたもの」(藤田令伊氏著『現代アート、超入門!』)だそうです。ピカソが描いた変てこりんな顔の人物画を思い浮かべると何となく理解できるかと思います。
 
 キュビズム絵画は、『痾』や『夏と冬の奏鳴曲』において、アイテムとして登場するだけでなく、特に『夏と冬の奏鳴曲』の作中で詳細な説明が加えられています。初読では、多くの方がその意図に戸惑うことになると思いますが、法月綸太郎先生による『夏と冬の奏鳴曲』新装改訂版解説と『痾』の解説、巽昌章先生の『夏と冬の奏鳴曲』旧版解説を読むと、目から鱗が落ちることになるでしょう。
 
 『痾』は『夏と冬の奏鳴曲』の続編であると書きましたが、いくつかの「ずれ」が生じています。法月先生はこれを「いったん切断(分離)されたものどうしの、ありえない接合」と表現し、それを二つの作品間の「ずれ」のみならず、トリック等内容に関しても当てはまるとしています。また、両作を通じて如月烏有の一人称のようにも、時には三人称のようにも受け取れる文体で描かれていますが、これも「描く対象をいろんな角度から見」るキュビズム的表現と言えるかもしれません。このように、『痾』と『夏と冬の奏鳴曲』は異なる座標点から見た出来事を如月烏有という人物の立ち位置一点から見ているように描くのみならず、異なる座標軸や時間軸における出来事、言わばパラレルワールドにおいて起こった出来事をあたかも連続して起こっていることのように描いているため、読者に独特の不安定感や浮遊感を与える作品になっているのでしょう。つまり『夏と冬の奏鳴曲』と『痾』は、二つセットでキュビズムの方法論をミステリに応用した壮大な実験小説なのだと思います。
 
 筆者も20年ほど前、最初に『夏と冬の奏鳴曲』を読んだときは、ほとんど理解できず違和感だけが残りました。しかし、時間をおいて『痾』を読み、今回『夏と冬の奏鳴曲』の新装改訂版を読むことで、不安定感や浮遊感が快感に変わりました。未読の方は『夏と冬の奏鳴曲』新装改訂版と『痾』を続けて、できれば2回以上読んでいただくことをお勧めします。その不思議な魅力を堪能していただけると存じます。