窓のむこう -7ページ目
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2007年8月18日。僕は脳梗塞で倒れた。

現在34歳。
一年前の夏に脳梗塞で死の淵を彷徨い、95%命は助からない、
生還できても植物人間になるという絶望的な病魔に犯される。
集中治療室に10日間、1ヶ月後にリハビリ病院に転院し、
奇跡的に2ヶ月後に退院。
入院生活とリハビリから僕が見たもの。



●●2007年8月16日(木)

その日3箱目の煙草の封を切った。
独り会社のベランダから、美しい花火の映る神宮の夜空をどんより眺めていた。
あの光の下で会社の仲間達はビール片手に楽しんでいるはずだ。
「俺も行きたいな。。」
毎年神宮の花火大会は、会社のPCの前でかすかな音だけを耳にしていた。
実際に現地に行って花火を堪能したのは会社を設立した初年度だけだった。

暫く禁煙していたのだが、近頃は仕事の不安と重圧から逃げるように1日3箱は吸い続けていた。
何かすがるものがなければ仕事の重圧に耐えられなかったのだ。
オレンジ色の血尿が出る程、過酷な状況だった。
それこそ心の休まる時間も無く、
その重圧は心の内壁を深く絶え間なく削り取っていたのかもしれない。

数日前から生涯で初めての激しい肩コリに悩まされていた。
左肩のあたりの妙な固い塊が顔を右に向けるのを邪魔する。
寝違えたような億劫な日々が1週間程続いた。
会社の同僚が気を使って青山にある知り合いの整体院を紹介してくれた。
先週は渋谷の針治療にも行ったが、一時的に痛みは和らぐものの夜にはまたコリに悩まされる。
撮影の仕事が終わり、整体やマッサージに詳しい仕事仲間が
痛みのある肩や右腕をほぐしてくれたが
「う~ん…すっごいコってますね。。良いマッサージを紹介しますから今度行って下さいよ。」

この仕事が落ち着いたらゆっくり休養しよう。。
そんな事を思い続け半年以上経つ。


●●2007年8月18日(土)午前3時、脚がふるえ、そして僕は倒れた…。

その日は午前3時頃起床した。
前日から原因不明の耳鳴りと薬の全く効かない激しい頭痛が続いていた。
身体がおかしい。ただの耳鳴りじゃないなさそうだ。。
今日の撮影の仕事が終わったら病院でも行こうかな。
そんな事を思いながら一服後にシャワーを浴びに風呂場に向かった。

シャワーを浴びだして突然その症状は起こった。
突然脚が勝手にぐらぐらと震えだして立っていられ無くなったのだ。
立っている力が足から奪われて行く。
座り込んでもまだ脚が震える。
行き場を失ったシャワーを手に持っているのがやっとだった。
最初は軽いめまいだと思ったがその震えは段々と大きくなっていく。何だこのめまいは!
こんな嘘のような恐怖の世界が自分の身に起こる事が信じられない。
突然何かに突き飛ばされ、別世界へと深く沈み込んで行く。

家の中にCANが居た事が幸運だったかもしれない。
「かーー。。かー。。」
大きく叫ぼうとしても声が出なくなっている。
必死に声を絞っても妻の名前が言えなくなっている。
こんな恐怖の世界が現実に僕に身に起ころうとは。
脚の震えが止まらない。大きく叫ぼうとも声が出ない。

CANが風呂場に慌てて入って来て僕の名前を何度も大きな声で叫ぶ。
「よしくん!!よしくん!!!」
力の全く入らない僕を彼女は抱きかかえる。腕はだらりと肩からぶら下がっている。
(そんなに大きな声を出さなくても大丈夫だよ。嘘だから。
本気を出せば起きれるよ。ほら今起きるから。)
そんな事を思っても全く身体が動かない。身体に力が全く入らないのだ。
CANは僕の手から離れた自分にかかるシャワーを止め、
僕を風呂場の床に寝かせ血相を変えて外に出て行った。
きっと一階に住んでいる家族を呼びに行ったのだろう。
僕は話せない。動かない身体で床に転がり呼吸する事で精一杯だった。

ガラスのように透き通った静寂。
その時はとても静かだった。
時間は長く感じられた。
呼吸ってどうやるんだっけ。
呼吸ができない事を考えたら本当に死んでしまいそうだ。
きっと全ての終末って、こんな感じなのかもしれない。
何故突然倒れたのだろう。
僕は沈黙の暗黒世界に深く沈んで行くようだ。
ここはやり直しが効かない現実の世界なのに。

風呂場のドアにもたれ掛った僕を押しのけてCANが戻ってくる。
舌を噛みそうな僕の口に手を入れて必死に制止している。
「よしくん!!舌噛まないで!!よしくん!!」
舌だけは噛まないように自分に言い聞かせていた。
強くそう思わないと勝手にあごが舌を挟んでいく。

後から母親が風呂場に慌てて入ってきた。
「かわいそうに…」
力無げにそう言うと、裸の僕の身体に毛布をかけてくれた。
体温を次第に奪われて行くので、これはとてもありがたかった。
何せ寒くても声を発する事が出来ないのだ。

そこに妹のNAOも入って来た。
「だから言ったのに!」

「浄波」という代替医療の治療員である妹は
最近僕の身体を気遣って頻繁に「治療」をしようとしていた。
しかし「治療」の効果なのか、次の日に非常に眠くなり寝坊する事もしばしばだったので、
仕事が落ち着いたら頼もうと考えていた。
数分足りとも余裕の持てない、そんな過酷な仕事の状況だったのだ。今考えたらぞっとする。

もう少し余裕を持って仕事をしていたら、こんな事にならなかったかもしれない。
妹の言葉に耳を傾け「治療」していれば、こんな事にならなかったかもしれない。
後悔先に立たず。身を以てこの言葉を体験する。

「意識があるならまばたきして」
妹の問い掛けにゆっくりと眼を閉じるのがやっとだ。

突然救急隊員が家の中に入って来る。救急車がようやく到着したようだ。
家族に何やら質問している。
この時、こういった修羅場を仕事現場としている救命隊員の人間の体温を感じた。
僕が倒れて狂乱したCANとは対照的に妹のNAOは努めて冷静だった。
最近の食べ物を救急隊員に問われても
「食べ物は良くないと思います。」
暫く会ってなくてもちゃんと分かってるじゃないか。
僕の最近の食事といえば昼はコンビニのおにぎり1個、遅い夕食は専らラーメン屋だった。

動けない裸の僕は毛布や風呂場の脚ふきに包まれて救急車に運ばれた。
家から搬出される前に少し意識が戻り片言喋れるようになったが、
その時も気にしていたのは仕事の事だった。
仕事場に遅れる事を伝えなくては。。
携帯電話が必要だ。
運ばれながら玄関先で片手を耳にあて、必死に電話をするポーズをとっていた。

救急車の中で意識をまた少し取り戻した。
「ちゃんと…分かってる…から。ちゃんと…聞いてた…から。」
声は小さく途切れ途切れで自分の声みたいで無いけども、
幸い周りの人を判断できる意識だけはあった。
車内にはCANと妹が同乗している。
救急車は家の近くの関東病院に向かっているようだった。

病院に着き救急病棟に搬送されると、その日は脳外科のK先生が救急の宿直だった。
この時僕は意識をほとんど取り戻し、医師の質問にしっかり答えていた。

倒れた時の状況。
数日前に血尿が出て、泌尿器科にかかった事。
事細かにここ数日の事を説明した。
しかし、このことが後の状況を悪化させた。

自分としては身体の何処かに必ず原因があるはずで、それを探り当てて欲しかった。
しかし僕の過去のカルテを2、3人の医師で確認しただけで、
今は意識もはっきりとしているし、特に原因と思われるものは見付からないようだ。
今回は一時的な発作のようなもので、今後も同じような症状が起きるかもしれないという。
念のため「MRI」という脳の中を画像解析するレントゲンのようなものを
来週の月曜日(この日は土曜日)に受けて下さい、と言う事だった。
今すぐ撮って欲しかったが、どうやら予約の必要があるらしい。

部屋が満室で入院もできず、細かな検査さえ無く、どうやら家に帰されるようだ。
そんな馬鹿な!ちゃんと僕の身体を調べてくれた!?
この時はやはり身体の異常を知らせる要因は何ら見つからなかったようだ。
後に「MRI」も撮影してないのに分かる訳無いと思ったが。。

家族に持って来てもらった部屋着に着替えているとき少しふらつくような感じがあったが、
父に運転してもらい車で帰る事になった。
車の中でサンダルを履いていたのだが、右足だけすぐ脱げてしまう。
今から思えばこの時既に梗塞(血管の解離)が始まっていたのだ。

今日は仕事に行こうか、状況を説明して休もうか、そんな事を考えていたら家の前に到着した。
少し気分が悪いなと思いながら車外に出ようとしたときまた突然喋れなくなった。
介助しようとしたCANに身体ごともたれ掛り、身体にも力が入らない。
「・・・・・」

CANが抱きかかえられながら、
「またおかしくなった!」
「病院に戻ろう!」と妹。
この時病院に戻らず家で横になっていたらと思うとぞっとする。


●●
以下は意識がモウロウとしていた為、記憶が断片的だ。
CANがノートに記録していたその時の状況を確認すると、
自分の身に起こっていた病魔に愕然とする。

父の運転で病院に慌てて戻り、先程の救急病棟の入り口に車をつける。
「また喋れなくなったんです。」
車椅子で病室奥のベッドに連れて行かれる。
やはり身体のどこかがおかしい。
意識は少し有りCANや医師の言葉に頷いたり反応を示すが、片言しか話せない。
車椅子に座っていると何かに口を塞がれるが、ベッドに横になるとそれは少しだけ開放される。
点滴を打たれる。血流を良くする薬のようだ。
救急の待合室でCANが待っている。
「もう大丈夫だよ。」
そう言い残し父と妹は先に家に戻って行った。

この後状況は一変する。



一時間後に両親がCANのいる救急待合室に戻って来る。
僕が喋れなくなったり、問い掛けに対する反応が鈍かったり波があるので、
念の為「MRI」を撮ると医師から言われる。
CANは点滴などの医療費を払おうとしたが、MRI撮影をするという事で返金される。
この時ただ事ではないな、と思ったらしい。

僕は病室から父やCANのいる待合室の前を通って何処かへと移動する。
CANの前で「保険証は財布の中だから。。」と言ったのを覚えている。
ストレッチャー(横に寝かせたまま患者を移動させる車輪付きの簡易ベッド)で
眼に入るのは虚ろな天井だけ。
僕は何処へ連れて行かれるのだろう。この時は分からなかった。
エレベーターに乗せられ何やら物々しい機械の置いてある重厚扉の部屋へと着いた。
後で知ったが、この機械が「MRI」らしい。

ストレッチャーからMRIで撮影する為のベッドに移乗するのだが、
医師達が問い掛ける内容は微かに分かるが、
頷く事も出来ず、身体をぴくりとも動かせない状態なので
4人がかりで僕を荷物のように運ぶ。耳には栓を押し込まれる。
何が始まるのだろう。

「これが緊急停止ボタンなので何かあったら押して下さい」
拳より一回り小さい、空気の入った昔のカメラのスイッチのような物を右手に握らされる。
この時から右手右足に、筋肉をつった時のような激しい痙攣が起こる。
自分の意識とは関係無しに、15秒おきにその悪魔のようなうねりに襲われる。
手足が勝手に痙攣するので右手に持たされたボタンを強く握りしめてしまう。何度も何度も。

定期的にやって来るその黒い波は微かな前触れがある。
…来るぞ………来た!…うっ!くっ
右足は波にさらわれるように高く持ち上がり、
右手は波に飲み込まれないように強く虚空を握り締める。
意識は波にもがき苦しめられた。

医師が撮影室に入って来て
「ボタンを何度も押されちゃ撮影できないんですよ!」と、訝しげに言う。
自分でもそんな事は分かっているのだが、僕の意志では手足の動きはコントロール出来ないのだ。
スイッチは右手から外されお腹の上に置かれた。
ベッドはCTスキャンのように、大きな機械の中に吸込まれて行く。
閉所恐怖症の人なら逃げ出したくなるような白く狭い場所。
顔の前は檻の鉄格子のような物に覆われる。

ビーー!!ビーー!!
タンタンタン!!タンタンタン!!
コンコン!!コンコン!!
ガーーー!!ガーー!!ガーー!!

金属を激しく殴打したような無機質な音が狭い部屋で激しく反響する。
僕の右の手足はその狭い部屋の中で勝手に暴れている。
意識は45度の熱にうなされるようだ。
頼むから早く終わってくれ。。。終わってくれ。。
その音は30分以上鳴り響いた。

その時から僕の意識は遠のいていった…

●●
脳に「海馬」という器官がある。
その構造がタツノオトシゴに似たこの器官は記憶を司るだけでなく、
生きる意欲や生命への欲望のような人間の基本的基軸のようなものに関わっているらしい。
よって人間が仮に死ぬ時にこの海馬が危機を察知し、過去の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
それは幼い頃遊んだ懐かしい場所や砂遊びする幼い自分だったりするだろう。
そこに行こうとするのが生きる事を放棄する瞬間で、
まだ待っててねと感じることが生きる意欲が戻って来る瞬間かもしれない。
こうしてひとは「霊界」に行ったり、「現世」に戻って来たりする。
人が死線を彷徨う時、亡くなった祖父母や両親、兄弟、従兄弟を思うというのは本当のようだ。
僕が死線を彷徨い「あの世」に一歩踏み入れてたとしたら、
MRI撮影のあとモウロウとした意識で苦しみ病室のベッドで待っているこの時だろう。
頭を起こして目で確認する事も出来なかったが、
病室の裏に居ないはずの従兄弟の「智ちゃん」と
この時はまだ名古屋に居た兄貴の存在を感じていた。
それは何と無くではなく「確実に」だ。

同じ1階フロアでは両親とかんながCTの結果を医師から報告されていた。
僕は記憶に無いがMRIの前にCTスキャンを受けていたようだ。
CTは放射線などを利用して生体を走査しコンピュータ画像にするが、
磁気を利用して生体内部を画像化するMRIに比べてその情報量は少ないようだ。
「CTだから細かい事は分かりませんが、たぶん脳底動脈剥離。脳幹梗塞です。」



薄弱だった意識が少しだけ戻ると、ストレッチャーに乗せられまた何処かへ移動している。
そのまま明るく広い部屋に入って行くと、何やら6人程の医師や看護師に囲まれる。
集中治療室のスタッフのようだ。
「ごめんなさいね。失礼します。」
僕が着ていたキクチタケオの薄緑のTシャツに看護師が大きなハサミを問答無用に入れる。
みるみる裸にされていく。
(また何かが始まるんだ!)
慌ただしい事態に状況が急変したのを自分でも感じる。
降り掛かる様々な状況に振り回される事にあきらめ、
僕は何が起きようとも身を預けるつもりだった。
それがどんなに痛くても、身体のどこを切られても無抵抗に受け入れよう。
ただ早く終わる事を願って。

看護師が僕の下腹部を指差して医師に言った。
「先生。エントリーしやすいように全部剃っておきました。」
(エントリー??何が??)

そのあとまたストレッチャーに乗せられ何処へと連れて行かれる。
途中の通路脇に両親が心配そうに立っていた。
「検査だからね!検査だから大丈夫!」と母。
(…検査??)
二人から離れて行く時、父が医師から何か言われている。
「…じゃ…承諾書にサインを…」
(え!?サイン??何にサインが必要なの?承諾書??)
ストレッチャーが向かった先は、真っ白で無機質な広い手術室だった。


●●
連れて行かれた広い部屋には医師が2名待ち構えていた。
ストレッチャーから銀色の金属性の、敷物も何もない、まな板のような大きな台に移される。
身体は動かない為、天井を見上げるしかなかった。
ドラマで見かける丸くて大きな照明器具がある。
何故か頭を切られる予感がした。

医師が僕の横に立つ。
右足の付け根の辺りを切るような処置しているが、
局部麻酔が効いているのか、それは微かしか感じられない。
右手右足をまたあの痙攣が襲い、僕を苦しめる。これから僕は何をされるのだろう。

意識がモウロウとしている為、僕がこの時想像していた事は支離滅裂だ。

薄青色のセロハンの張られたガラス窓のすぐ向こう側には
CANと妹、父さん、母さんが椅子に座って待っているのだろう。すぐ戻るよ。
頭が30秒おきにじんわり熱くなるのは、
頭の両側にある直径30cm程のお盆みたいな形のカーボン性機器から、
遠赤外線が高温で放射されるせいだ…
その機器は頭の両側だけでなく上下にもゆっくり移動したりして、
頭を色々な角度から熱する未来宇宙の設備。
僕の右側の台には半球体ガラスで覆われた、実物大の脳の模型のような最新医療器具があり、
それをトンカチとノミで叩いてきっと僕の頭の中を遠隔手術するんだ。
これなら頭を切られる心配は無いな。

それでも駄目なら…

奥にある真っ暗なガラス張りの狭い部屋で僕の髪は全部刈られ…

大きなナイフで頭を半分に切って…

きっと脳が剥き出しになるんだろうな…

それをトンカチとノミで叩かれたら死ぬ程痛そうだ…

……

いいよ。いいよ。それも仕方ないよ…早くやってくれ…

医師は僕に何か処置したり、僕を一人残して奥の部屋へ行ったりしている。
何度も往復している。
痙攣に襲われ右足が大きく曲がり、右足の付け根の切口から血が溢れ出す。
医師が右足を強く押さえ、困惑した顔で必死に止血する。

長い長い時間が過ぎた。
結局頭は切られなかった。

それが「カテーテル」と呼ばれる管を体内に入れる処置だった事を知ったのは2ヶ月後だった。


●●
手術室から集中治療の病室に戻った。

看護師が僕の目玉にペンライトをかざし、眼の反応を伺っているが、
その時僕の目玉は左右に細かく1秒に5回位猛烈な勢いで振動していた。
尋常ではない速さで眼が震えているのが自分でも分かった。
ああ、僕は今とんでもない容態なのだろう。

顔を大きな丸い白布で覆われる。
白布で仕切られた視界の左端から一人の看護師が顔を少しのぞかせて
「大丈夫ですよ。頭の方に栄養を送る機械を喉につけますね。すぐ終わりますよ。」
虚ろにうなずく僕。
先の見えない危機的な状況に囲まれ、不安だった僕を安心させてくれたこの看護師には感謝する。
チクッチクッと、喉に糸のような繊維で縫い付け、何かを取り付けている。
どんな処置がされているのか、僕に見せないようする為にこの白布で覆ったのであろう。
見せたら不安と恐怖で一杯になる。

右手右足はまだ痙攣している。
自律神経が不安定で汗が滝のように溢れ出ている。
酸素マスクを付けられる。
身体からたくさんの管が伸びている。
人間じゃ無いみたいだ。

看護師が言う。
「お母さん来てくれたよ。」

周りには家族達が暖かく見守っていた。

2度目に病院に運ばれてから、今までずっとずっと不安だった僕の気持ちが溢れ出した。
感情は理性を外されて緩くなっていたかも知れない。
酸素マスクが外れそうになる程、大きく口を開いて声を出して泣いていた。

怖かったよ…でもこれで終わりでしょ。

泣き散らすCANは、僕が手術室から生きた状態で
帰って来ない事も頭をよぎったらしい。

みんなみんな泣いていた。




これが僕が記憶している8月18日の光景だ。

2008.最初の一歩

僕は再び歩き出した。

ゆっくりゆっくり歩き出したつもりだったが、
いつしか元のペースに戻りつつある。

いけない。いけない。
スピードゆるめなきゃな。

デザイン業を諦めて、新たな職に就いた。

介護職だ。

最初は単純に「人の役に立つ仕事」と思いこの職に就いたが、
理想と現実のギャップは日増しに広がる。
入居者さんに「してあげたい気持ち」と実務進行の狭間に常に立たされている。

あーあ。この仕事あとどれくらい続けられるかな…



昨日の夜勤の疲れがまだ残ってる。

身体で思い切り「伸び」をすると、
また右足が「こむら返し」で苦しめら飛び起きる。
病気の後遺症だ。

昨夜から妻が寝ずに煮込んでいた角煮が焦げる。

かわいそうに。きっと美味しく出来てたはずだよ。
また作っておくれ。




◉今日は休日。
駅ビルのユニクロで服を購入。
人気のヒートテックなるものは在庫がほとんど無かった。

その後、ブックオフで
遠藤周作「沈黙」「満潮の時刻」、
藤原正彦「父の威厳 数学者の意地」を購入。

遠藤周作は生と死、宗教と救済が一貫したテーマで、
僕が大好きな作家の一人だ。

読むのは「侍」以来で久々だな。楽しみだ。



◉ターミナル。

人生の最終局面。
その人が繰り広げた人生劇場の幕が下りる時。

親が子供を育てる義務があるように、
子供には親を看取る義務があるのかもしれない。

その中で介護職は、
人の一生の大事な最後のステージを支える。演出する。

入居者さんの身体の機能が衰えるばかりで、
治す事はけして出来ない。
介護職のそこにもどかしさは感じるが、
最終段階を少しでも彩りあるものに演出する。
今はそう理解している。


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