窓のむこう -5ページ目

一般病棟にて…その1

2007年8月28日(火)ー倒れてから11日目。



●●●●

「10B15」。

僕の新しい病室の部屋番号だ。



病室は8帖程の広さで、入口の大きな引戸から部屋に入ると

すぐ左にユニット式のトイレとシャワー室があり、
奥には柵付きの電動ベッド、
ベッドの手前に大きな鏡の付いた洗面台と衣服などの物入れ、

ベッドの奥には本などが並べられる小さな机と、

その下にはICUから持って来た「カルピス・プレミアム」や水・ゼリー等の入った冷蔵庫、

机の上部からアームでせり出した可動式の小さなテレビがある。

部屋の一番奥にはやや北向きの、天井まで伸びた壁一杯の大きな窓があり、

ブラインドが上げっぱなしで、部屋には昼間の灯りが無防備が飛び込んでくる。

窓は全開にはならないが、換気出来るように15センチ程なら開けられるみたいだ。



ICUから嬉々とした気持ちでここにやってきたのに、
それを押さえつけるように
看護師はストレッチャーで運んできた身の周りの荷物を黙々と整理し、

壁に掛けられた僕のネームプレートの担当看護師欄に自分の名前を記入して、

「少しお待ち下さいね」とだけ言い残して去っていった。



孤島に一人だけ置き去りにされたような、長い沈黙の時間。

ベッドに横になり動けない僕は、入口の扉に付けられた小さなガラス窓から
外の様子を意味も無く伺うだけだった。

(早く来ないかな)
小さな窓に人の影が映ると左半身に力を入れ身構えるが、

その影は忙しなく部屋の前を通過して行く。

ICUを飛び出した事で少しは活発的な生活が出来そうだという、

淡い期待を裏切られたような気分だった。


ICUでは何より患者である自分が中心で過保護に扱われていたが、

一般病棟では他にもたくさんの処するべき患者が居るのだ。

その分看護師も僕一人に対応している時間は、ICUに比べ少ないのは当たり前だ。


30分程して担当看護師が戻って来た。


初めて自分の為の車イスというものを見た。



「お待たせしてすみません。フロアのご案内しますね。」

折り畳まれた濃紺の車イスを広げながらそう言った。

横になっていた僕は左腕に力を込めて起き上がり、ベッドの端にゆらゆらと腰掛けた。

すると看護師は重い荷物を運ぶように、「くの字」になった中腰のままの僕をベッドから車イスへと移乗させた。



久しぶりにベッド以外の物に腰掛けた。

(ああ…イスに座るってこんな感覚だったよな)

自分の中で、行く手を阻んでいた障害が一つ外れたような清涼な開放感。

初めて腰掛ける車イスは操作方法など何も分からないが、

看護師に後ろから押してもらう事で移動が出来た。


僕は何日かぶりにストレッチャー以外のものに乗って移動し、

「座る」という姿勢のままだが病室を出た。



歩く。走る。車に乗る。



自分が移動し周りの風景が前方から後方へと流れ行く様は、

久しぶりに見ると、捉えきれぬ程とても速く動いていた。

びゅんびゅんと風を切るようで、目の前の光景はすぐに像を結ばず、
チカチカと眩しい様な感じがした。

車イスを押す看護師は走る訳でもなく、只ゆっくりと歩いているだけなのだが。


初めて車イスに乗る者は、その体感速度に驚くらしいが、

この時、眼球運動障害による動体視力の低下やそこからの情報処理の低下も関係があったかもしれない。

これは今でも悩まされている後遺症だ。



病室を出ると左右に伸びた大きな通路があり、同じ様な個室が15部屋程並んでいる。

右に20m程行った突き当たりには非常階段へと続くガラスの扉があり、

左にはナースステーションがある。
左に行った突き当たりはテーブルが幾つか並んだロビーで、

患者がここで来客と面会したり、食事をしたり、
退屈しのぎに本や漫画を読んでいたりする自由な空間となっている。

ロビーに突き当たり、左に行くと通路の左右に4人部屋の病室が6つ程並んでおり、

20m程先にはまた非常階段へのガラスの扉がある。
ロビーから右に行くと、スタッフルーム、トイレ、
洗髪台や洗車機のように身体をまるごと洗う機械がある清浄ルーム、
自販機のある比較的大きめの食堂、エレベーターの踊り場などがある。


さらに直進して行くと「10A」という他の病棟に連絡する。

患者や来客はこの先は行ってはいけないらしい。



一通りフロアを案内されたが、
最初は目の前がくらくらして自分が何処に居るのか良く分からなかった。


ただ感じたのは、僕を閉じ込めていた柵がまたひとつ外れたような開放感だった。

生活の場がベッドの上だけでは無くなったんだ、という実感が込み上げ震える程嬉しかった。















ICUにて…その5

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8日目に許可が下りた。

ICUから一般病棟へと移る許可だ。
他の患者さんの都合で1日延びたが、それでも2日後には移れるみたいだ。

MRI検査など再度行い検証した所、頭の中の回復具合が良いらしい。
といっても、検査結果の画像など一度も自分では見ていないので、勝手な自分の想像だが。
写真で頭の中を覗いて、現前たる自分の姿を見せられるなら見ないほうが良い。
だって、自分は猛烈に回復していると思っていた方が幸せじゃないか。
だから、回復具合が良いらしいというのは、僕が周りの反応を見て感じた直感だ。

リハビリも精力的にこなした。
寝返りさえ一人で出来なかった最初の頃にくらべ、
手足はだいぶ動かせるようになった。
自分の力で起き上がり、血の気が引いたようにくらくらするが、
それでもベッドの端に座る事まで出来るようになった。
もちろん立つ事なんて不可能だし、手首や指、足首や足先など末端は無反応だが、
きっと来週にはできるはず、動くはずだから心配ないだろうと思っていた。
食事も刻んで細かくしたものなら、左手にスプーンを持ちすくって食べれるようになったし、
飲み物は何でも飲めるようになった。

一般病棟に移る事で、何が一番嬉しかったかというと、
トイレとシャワーが部屋に付いているだった。
まだそれを使えるまでの回復はしていないが、
それがベッドの近くにあるというだけで幸せだった。
僕の近頃の目標は、
トイレに一人で行ける事、シャワーで頭を洗う事だったから、
一般病棟に移れるという話を聞いた時、まっ先に質問したのは
「部屋にトイレありますか?」だったと思う。

だから早くICUから出たい。出してくれ。


9日目に看護師によるいつもの簡単な検査の途中で、
聴診器を腹部にあてながら「お腹がだいぶ張ってますが平気ですか?」と聞かれた。

栄養を摂るのを点滴から普通の食事に変えて5日経つが、腸に便が溜まり始めているようだ。
言われてみれば、便意もある気がしないでもない。
飯を食べてそれを5日分も溜めれば、便意があっても当たり前か。
しかし、尿を出すだけで、あれだけ大変だったのに、
便など更に大仕事だろうし、だいいちこんなベッドの上でしたくない。
それを他人に見られて棄てられるなんて、勘弁してほしい。
「便意はそんなに無いよ。
 環境が変われば出るんじゃない。
 だから明日、一般病棟に移ればすぐ出るよ」
言われてから加速度的に膨らむ便意だが、
このベッドですることになる非常事態は、何としても避けたかった。

これで一般病棟に移ってからの、一番最初にやるべき重要な課題が見付かった。


8月28日(火)10日目。

今日は一般病棟へと移動する日。
世話になった看護師や医師達、生活を共にした今ここにある病室の風景さえ懐かしいように感じる。
生きるとは何か。普通とは何か。
一人で禅問答を繰り広げ、資料を広げた机代わりの淡い天井。
その舞台は次に移るよ。ありがとう。
そんな事を思っていた。

先程CANが面会に訪れたが、また病室に戻ってきた。
仕事の件で、僕の会社からCANに連絡が有り、
仕事で必要な化粧品の書類はどこ?と聞かれた。
書類をしまったのは、もう何週間も前の事だ。
生活環境が一変して穏やかになっていたが、
倒れる前のあの嫌なリズムが蘇ってきた。
「詳しく覚えていないけど、きっと白い封筒か何かに入れたような…」

CANが会社にそう伝えると、
もっと詳しく教えてくれと急かされたようで、
医師や看護師に不審がられながらも、病室に何度もCANは戻ってくる。

僕が倒れてから、CANを含めた家族達は、
僕に外界を悟らせまいと情報を遮断していたように思える。
これがどんな病気か。これからどうなっていくのか。
僕も意図的にそれに対しては目をそらしていた。
ただ回復することを信じて。

CANはそんな僕と窓のむこうを結ぶ、
難しくて損な役回りだったかもしれない。
だからどんなに感謝してもしきれない。

会社の同僚達の、その時の過酷な状況は痛い程分かる。
だが、倒れたあの頃の僕はその何倍も過酷だったと堂々と言える。
僕の倒れた時の状況を振り返ると、
CANや、母や父、兄夫婦や妹は、更にその何倍も精神的に追いつめられたと思う。
会社にもそんな事は想像してほしかった。

「もうこの役目嫌だ…」
泣きじゃくるCANの姿を見ると、仕事への怒りが沸々と湧いて来た。
不安や恐れで潰されそうになりながらも、僕の前では気丈に振る舞うCAN。
僕には仕事の話をしないでと、家族には止められていただろうが、
会社には仕事の話を僕に伝えてくれと急かされる。
悪意の無い押し問答に板挟みになって、
呼吸をする事さえ窮屈になっていただろう辛辣な立場。
そのバランスが崩れたら、一気に感情が爆発するのも当たり前だ。

 「右手…動くようになってきてるから…ねっ」
優しくそう言ったつもりだが、気持ちは伝わっているだろうか。
CANをなだめ、落ち着かせるのと同時に、
あの嫌な仕事の空気感が病室に漂ってきた。


その日の午後に、担当の看護師が僕の病室を片付け始めた。
バッグなどに荷物を詰め込むその姿を見ると、
いよいよ引越だなという、はやる気持ちが徐々に大きくなっていく。

衣服類や本、その他様々な道具はバッグや紙袋いっぱいに押し込まれ、
ストレッチャーに乗せられた。
その空いた小さなスペースに、ベッドから倒れ込むように僕は自力で移乗する。
たくさんの荷物に囲まれ、久しぶりにベッド以外のものに横たわった。

一般病棟から新担当となる看護師が病室にやってきた。
ICUと一般病棟では担当が変わるらしい。
その新しい看護師にストレッチャーを押してもらって、初めて病室の外へ出る。
「うわーーー! ICUってこんなに広かったんだ」
自分の病室しか見ていなかったから分からなかったが、
同じ様な病室が10室程あった。
そしてICUは自分が想像していた広さの何倍も広い。
スタッフコーナーには、いつも1人か2人で病室にやって来る看護師が、
10名以上かたまって、身を乗り出すように笑顔で僕に手を振っている。
みんな知っている顔だ。

「みんな、ありがとね!
 でも二度と戻って来ないから~」

僕はICUの扉から外へ出た。
何とも言えない開放感。
そして嬉々とした気持ちで一般病棟へと向かう。

これから、ベッドの上だけでは分からなかった、
自分の肉体の圧倒的な変化に驚愕する事も知らずに。

ICUにて…その4

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これは僕が入院中に一番“痛かった”事件だ。
思い出すだけで湿った冷や汗を感じ、
肩をすぼめて歯を軋ませ全身をブルブルと硬直させてしまう。
きっと「男」にしか分からないだろう。


倒れた初日に手術室からICUに帰ってきた僕は、
衣服を脱がされて裸の状態でベッドで寝ていた。
目が左右に細かく猛烈な勢いで振動していたあの時だ。
虚ろな状態だったので記憶はおぼろげだが、
看護師達に囲まれ、一人の中堅女性医師が僕の足元に腰掛ける。
そして微笑みながら僕に何かを話し掛けている。
手には透明の管を持っている。どこかに差し込むようだ。
するとそれは僕の尿道へとするすると挿入されていった。
「・・!」
憔悴しきった身体で感覚も鈍っていたのだろう。
この時はまだ軽い不快感しか感じなかった。

が、それは6日目の夜にやってきた。

それまで僕の尿道からは管が出ており、尿意に関係なく自然と尿が
ノートサイズの透明パックへと流れ出て貯められていた。
看護師達は毎日そのパックを手に持って、目をこらし黄色い量を測っていく。
これが大切な患者管理の一環なのは分かってはいるが、
何だか僕の身体の内面を覗かれいるようで非常に不愉快だった。
透明パックに尿が勝手に貯められ、それを他人に目視で確認されるのだったら、
百歩譲ってまだ「尿瓶」の方がましだ。
今日こそ尿瓶に変えてやる!

6日目の夜、40歳位の担当の看護師へ何かに挑戦するかのように告げた。
「あのー…シビンで小便がしたいんで…この管抜いてもらっていいですか…」
「………大丈夫かな?」
「大丈夫!」
僕は当然出来ると思って簡単にそう言った。が、あまかった。

尿道から、痛みとも違う不快な異物感を伴って管がゆっくり外された。
そして看護師が乳白色で半透明な尿瓶を僕に渡す。思っていたよりも大きい。
下腹部を温めると出しやすいらしく手伝おうかと言われたが、断った。
「一人で出来るに決まってるよ。万が一駄目ならお願いするよ」
「分かりました…終わったら呼んで下さい」

病室のドアが閉められ、窓にはブラインドが下ろされる。
他人の目線が遮断された完全にひとりだけの世界。
僕は電動ベッドの頭を60度に起こし、左手だけでパジャマのズボンを下ろす。
点滴の管や、指先に付けられた計測器からのコードが交錯してそれを邪魔するので、
ズボンを脱ぐだけで汗ダクだ。真夏の湿気で蒸し暑くなった不快な便所で格闘したみたいだ。
パンツを下ろし尿瓶をあてがって、いざ尿はそこに流れ出るはずだった。
しかし、どれだけイキんでも尿は一滴を出ない。

これで出さなきゃ、またあの管を入れられる。ここは何としても出さなば。
うーーっ!!くーーっ!!!
30分間はイキみ続けたと思う。だが、出そうな気配さえない。

仕方なく看護師を呼び、バツの悪そうに
「…駄目でした」
と僕が言うと、そうだろうと思ったという顔をして、
温かなタオルを下腹部にあて膀胱を温めてくれる。
僕は尿瓶をあてて尿を出そうと再度試みる。
他人に見られようとも形振り構ってられない。
温タオルで裸の僕の下腹部を押さえる看護師と、
荒い息使いでイキむ僕との不思議な共同作業は15分近く続いた。

結局出なかった。
暫く使っていないので膀胱を動かす筋肉が弱くなっているのか、
もしくは病気のせいで右手のようにダラリとその機能を失ったのか、
理由は分からないが、僕の尊厳を取り戻す試みは無惨にも失敗に終わった。


僕が管を外した事は担当の医師達にも伝わっていたようで、
出た出ないを結果を待ってくれていた。
最初に管を通したあの中堅女性医師が病室に入ってきて僕に言った。
「出なかったのね…。
 再度チャレンジしてもいいけど、
 今日は会合があるので結果をこれ以上待っていられないんです。
 ごめんなさい。今夜は諦めてまた管を入れましょうね」

ああ…。またあの不快感に襲われるのか…。

すると、別の女性医師と若い看護師が透明の新しい管を持ってやって来る。
足下で管の長さを調節するなど何やら作業をしている。
その看護師はまだ若く、こういった作業に慣れていないようで、
管を切る場所や道具を間違えるなど慌てている様子だった。
僕の不安は募る。そしてどんどん大きくなっていった。

…大丈夫かな…嫌だな…嫌だな…。
「…やる時…言ってね…」
こちらにも不安な気持ちが伝わってくる。心の準備が必要だ。
待たされる間に不安が恐怖に変わっていく。

「…いきますね」
看護師の右手にはピンセットに挟まれた新しい管が準備され、
左手で尿道をつまんで少し開く。
そして管をゆっくり尿道に刺して行った。

痛!痛!痛!痛!痛!痛!痛!痛!痛!痛!痛!痛!

普段は物質を排出するだけの一方通行の道に、
必死に抵抗しても異物が問答無用に逆流してくる。
それは、身体中を密閉し、全ての呼吸が拒絶されたようないびつな異物感。
尿道に鋭利で拳大の腐った金属を、無理矢理嘔吐されたような深い屈辱感。
初めて痛感するドス黒い嫌悪感がいつまでも漂った。


魂の抜殻のように憔悴しきった僕は、ベッドの上で一人
下腹部にいつまでも残る陰湿な不快感に流されていた。

先程までは気付かなかったが、右腕が血だらけになっている。
よく見たら右手首に挿入されていた点滴が外れて、そこから血が溢れているではないか!
1時間前に尿瓶と格闘していた時、ベッドの上で忙しく無理な体勢でいたから、
そのはずみで抜けてしまったかもしれない。
「ごめん!点滴外れちゃったみたい!」
すぐにナースコールを押すと、若い看護師が飛んできた。
新米看護師らしく、なかなか点滴が入らずに困惑した表情で慌てている。
その間にもどんどん僕の血液が溢れ出る。
様子に気付いた僕の担当外の看護師もやってきて、
「これはまずい!」
と言って抜けてしまった点滴を必死に挿入している。
が、ハマらない。
一度抜けてしまったらなかなかハマらないのかもしれない。
二人の看護師が点滴を入れるだけで15分以上試行錯誤している。

大丈夫かな…。
 
 ちがうよ。そこじゃないよ。

大丈夫かな…。
 
 うーーん…。うーん…。

大丈夫かな…。

 きっとそこだよ。

………………!!

ハマった。やっとハマった。
汗だくの三人で安心してほっと胸をなで下ろした。
看護師の慌てた様子を見ると、僕まで不安で冷や汗を感じた。

小便しようとするだけで流血し、こんなにも不快と不安に襲われたのは、
後にも先にも、今後の人生でもこれ一度きりだろう。


その夜に僕が眠っていると、深夜1時頃に主治医のK先生がやって来た。
いつもの白衣でなく私服の黒いTシャツを着ている。
今日は先生の休みの日だが、僕が自力で尿をする事を聞きつけ様子を見に来たらしい。
「…あれ?私服ですか?」
「はは。家に帰る途中で見に来ました。…オシッコはどうでした?」
「…出なかった」

こんな事を聞きに夜中に来るなんて、きっと排尿って想像以上に一大事なんだ。

「…そうですか…。また明日以降頑張りましょうね!」

K先生って真面目なんだな。
普段過酷な仕事をして子供のいる家にすぐ帰りたいだろうに、
患者のオシッコの心配をしている。
それが職業的義務なのは分かっているが、こんな真夜中に時間を割けるのは誠実な証拠だ。

「遊びに行ってたでしょ~?どこに飲みに行ったの?」
わざと気さくな感じで僕は話していたが、それに笑顔で頷いている時の先生の
心配しないで大丈夫だよ、という温かな眼がやたらと大きく見えた。


翌日7日目の朝。
どうしても自力で尿を出す事が諦められず、
看護師に再度管を抜くことを懇願した。

今日は出るだろう。
昨日は初めての試みだったから出来なかったけど少しコツも掴んだし。

そんなに自力で出したいなら仕方無いという顔で、
看護師が管を抜いてくれる。
病室は再び遮断された一人だけの空間になる。

昨夜みたいな流血事件にならないように
点滴に気をつけながらズボンを下ろし、尿瓶をあてがう。
昨日学習したコツは、男は立って小便をするのが体に染み付いているので、
その姿勢に近ずけるように、上半身はなるべく寝た状態でなく起こす事。
寝た状態では尿はなかなか出づらい。
本当は膝で立った状態で出すのが一番理想だが、そんな事は出来るはずも無いので、
お尻はベッドについたまま、上半身を起こす。
膀胱を出来るだけ尿道よりも高い位置に持って行き、重力で尿を落とすイメージだ。
そして意識を尿意に集中させ過ぎない。尿意70%、窓の外の景色30%。
意識を全力で向かわせたら、きっと膀胱も慌てるだろう。
大事なのは、落ち着く事。こういった事に慣れている自分を演出する。
イキんで膀胱の筋肉を刺激し、尿を絞り出すパワフルな小便よりも、
尿道の先の一点だけを感じて、そこに尿を誘導するイメージ。

小便をするだけで、こんなに思考している人も珍しいだろう。

いざ。

…。……。……………っ!…………………ふっ!!

…………もう少しだ………………ふんっ!!!

……………ふんっ!!

………あれっ??……………………おかしいな???

……………くっ!!!………………なんで???

………………。

出ない。また出ない。
狼狽する自分を落ち着かせ、何度もチャレンジするが一滴たりとも出ない。
自分の身体が信じられず、自己嫌悪に陥る。
僕はそこまで機能を失ったのか。

僕を病室内で立たせてくれれば出そうな気もするが、そんな事は許可されないだろう。
点滴やら色んな器具が身体中に生えているが、それごと看護師に介助してもらいトイレに行って、
便座に腰掛ければなんとか出るかもしれない。でも、便座に座ってられず身体が落ちるんだろうな。
だいいち、ICUのトイレまでは遠いだろうし。
歩いている自分の姿を想像するだけでくらくらと目眩がする。

お願い。誰か僕をトイレに連れて行ってくれ。

何気ないトイレのはずが、それは遥か遥か遠く。

この時感じた。

トイレに一人で行くという当たり前の事が、どれほど貴重な事か。

どれだけ幸せな事か。

どれだけ愛おしい事か。


泌尿器科の先生がやって来る。

主治医のK先生が、尿を出せない僕の状態に対応するため、
助言を求めて呼んでいたのだ。
「うーーん。何度も管を入れると尿道が傷ついてしまうので、
 出ないのであれば、また1週間くらいは管をつけましょうね」

今回管を入れたら暫くは取らない方が良いとの事。
当たり前の事が当たり前に出来ず、不甲斐ない自分にイライラしているのに、
またあの不快な異物感に襲われるのか。もう懲り懲りだよ。

面会に来ていた家族が病室から一旦外へ。
入れ替わるように、あの時とは違う別の看護師がやってきて、
再び管を僕の尿道に突き刺さす。

!!!!!

処置が済むと家族が病室に戻って来た。
昨夜からただでさえ気力の無い僕なのに、
より一層魂が抜かれてしぼんでしまった、朽ちた枯木のようだったかもしれない。
そこに自分は無かった。
あるのは、
想像をはるかに超えた激痛と、
豚に罵倒されたような屈辱感と、
二度と立ち上がれない敗北感だけ。

「…もう帰っていいよ。誰も面会に来なくていいから…」
一人きりになりたかった。
不甲斐ない自分を受け入れるのと、表現しがたい激痛で狂いそうだったから。
この激痛が過去のものになるように、未来の自分をずっと想像していた。
しかし、その痛みは頭では逃れられても、下腹部にはじっとり残っていた。

面会に誰も来なくていいよ、と伝えたのに夜には父が来てくれた。

女性の尿道は短いので痛みはそれほどでも無いらしいが、男性のそれは長い。
だから男にしか分からない痛みなのだ。 
父に下腹部の痛みを伝えた。
父にも全ては分からないかもしれないが、誰かに痛いという事を伝えて吐き出したかった。
そうする事で気持ちは少し楽になった。

明日からまた管との生活だ。
でもそれも仕方無い。あるがままを受け止めよう。
そう思いながら僕は眠りについた。