その後に判った事がある。
先に報道されていたシリア過激派集団「イスラム国」に捕虜となって居た報道カメラマン後藤健二氏の事だ、彼は外務省からシリア渡航を中止するように電話で2回、面接で2回受けて居るという。
彼も報道の中で「私の責任であるから」と言って居たのは聞いた。
報道者としての報道の自由は「人間の命」より強いのだろうか、後ほどにまたシリアに渡航しようとしたフリーカメラマンは国の強い指示で渡航を中止したが、
「報道の自由を止められた」訴訟の準備をしているともほうじられている。
如何に報道の自由といって個人の責任だと言っても、先の事のような状態なった時に国は 「報道の自由と個人の責任だ」と言えないのが現状ではないか。
我が国では国を挙げて救出に努力したのは菅官房長官の目を見ても判った
(記者会見の時の目が赤かった寝て居ないと感じた)また報道機関はかなりの時間を持って報道した、これが「報道の自由と個人の責任」で済まされるのだろうか、シリア過激派集団「イスラム国」が日本をターゲットにしているという時にフリーカメラマン渡航しようというのを外務省が無理にも止めるのは当然だ。
それを「報道の自由」だと訴訟しようというのはどう云う人だ、無事に帰れば英雄かそれと報道資料は高額に売れたという事なのだろうか。


