とある日系二世が戦時中日本で見た空襲にまつわる話を書く。
空襲と書くと教科書的なので、空爆と書く。
かつて多くの先人が体験したことで、意味はさほど変わるまい。
ところで、この話は以前、帰米二世から聞いた話だ。
帰米二世とは、アメリカ生まれだが、日本に渡った人々。
太平洋戦争中は、敵性外国人とのレッテルを貼られ、激しい苛めにあったのこと。
さぞかし、生き辛かったに違いない。
当時の食糧事情は一般人でも劣悪・・・・
敵性外国人にとって、さらに酷い有様だったことは容易に想像がつく。
歴史的事実であるが、終戦間際、日本の主要都市は空爆に晒された。
その帰米二世の住む街も焼かれたそうである。
偶然にも、帰米二世家族の家は焼けなかった。
しかし、街を焼け野原にしたのはかつての母国のアメリカ。
家を焼かれた人々からリンチに遭うことを確信したそうである。
嬲り殺しに逢うくらいなら・・・・と帰米二世家族は自決まで覚悟していたらしい。
しかし、その家族は嬲り殺されることはなく、確信とは真逆の展開であった。
近隣の人々が掌を返したように、なにがしかの食料をその家族に差し入れしたのである。
差し入れは芋、米、味噌、その当時は貴重だった酒や白砂糖まで及んだそうだ。
堂々と持ってきたのではなく、人目を忍ぶようにコッソリ持ってきたそうである。
食料を差し出したのは庶民だけでなく、憲兵や特高の刑事もいたそうだ。
なりふり構わない掌返しの根底には、敗戦後の保身があったに相違いない。
差し入れというより、奉納・献上といった趣旨と思われる。
圧倒的な空爆を目のあたりにして、人々は日本の敗戦を肌で確信したのであろう。
憎しみよりも保身、つまり「生き延びる事」を最優先させた、極めて合理的な判断である。
当時の日本には天皇の玉音放送音盤を力ずくで奪ってまでも戦争継続を謳う軍人もいた。
一方、なけなしの食料を差し出した人々は、敗戦を悟り、敵国に阿ることを選んだ。
何れも、同じ日本人である。
さて、この話を聴いたのはかなり昔であるが、私は、書店で強烈な既視感に襲われた。
新刊本はドナルド・トランプ一色・・・・浅ましいばかりの掌返しである。
この本の山を見て、帰米二世から聴いた話を思い出した。