事件鑑定人のブログ@鑑定人イシバシ

事件鑑定人のブログ@鑑定人イシバシ

私が事件鑑定人としてこれまで経験したことを書きます。
特定を避けるため、一部、ぼかしたりフェイクもありますが、概ね実体験です。

NEW !
テーマ:

阪神淡路大震災から24年経つ。
実は、私は地震発生当時、偶然にも仕事の都合で兵庫にいた。
地震に遭遇し、そのまま、流れるように神戸の地でスコップを握った。
勿論、会社員である私の我が儘であることは言うまでもない。
当時、在職していた職場の有給を使い果たしてもなお現場で汗を流した。
有給・代休・さらには明細で見たこともない残業相当時間まで使い果たした。

たまり貯まっていたはずだが、それを割り引いても過大な時間だった。
私への異例の待遇に、当然御如く社内の反発は大きかったはずだ。
今想えば、当時の上司は、相当に寛大な心で私を支えてくれていたのだと思う。
おそらく、私を庇うために苦しい釈明と法螺話を繰り返していた筈だ。
悲しいかな、苦し紛れの嘘に釘を刺しつつ、法螺話に目を光らせるのが今の私の立場だ。
当時の上司が私を庇うための法螺話や社内的な葛藤は自ずと判る。
しかし、その当時は、そういった上司の苦悩を考える余裕はなかった。
目の前の瓦礫を排除し、救援車両が通る道を通す・・・それだけだった。

震災後、多くの技術者や職人はアタリマエの様にその作業に持てる力の全てを投じた。
土方・技術者・官吏それぞれが自らができることの最大限を現場に捧げた。
最後に飯を食ったのが何時なのか思い出せないような日々だった。
食い物といえば、炊き出しのお握りと冷めた白湯の、不定期な配給に頼る日々だった。
中にはとある公務員が、故意に置き忘れた缶入りの米飯で凌いだしたこともあった。
おそらく、置き忘れた振りをした公務員自身等の糧秣だったはずだ。
しかし、その想いを斟酌する余裕は当時の私達になかった。

道をふさぐ瓦礫の山は、私から善意から斟酌して感謝する心を奪っていた、

そんなある日、九州人の私に奇跡が起きた。
炊き出しで、マルタイの棒ラーメンが我々に振る舞われのだ。
恐らく一人あたり1/3~4人前程度で、紙コップに入れられていた。
麺も上手に茹でられていなくてダマになっていたし、半分ぐらい冷めていた。
被災地の大鍋で茹でたのだから仕方ない。
しかし、僅かばかりとはいえ、故郷の味の豚骨ラーメンは私に力をくれた。

実は、この話には後日談がある。
震災から十数年経た後、偶然、マルタイラーメンの工場関係者が私の臨席で吞んでいたのだ。
私は、思わず声をかけた。
嬉しくもあり、懐かしくもあったが、感極まった私は事情を上手に伝えられない。
偶然居合わせただけのマルタイラーメン関係者に、
「ラーメン旨かったです」 
と、とりとめもなく繰り返しただけだった。
こんな言葉であれば、感極まったとはいえ、いくら謝意を述べても伝わろうはずもない。

そもそも、出荷したラーメンがどういった経緯で普及作業員の胃を満たしたか知る術などないはずだ。
しかし、私の言葉の断片で 「神戸」 という言葉で察してくれた。
マルタイ関係者は私が握った手を強く握り返しててくれ、
「旨かったんですか」
と、聞きかえされた。
「旨かったです」
私は、マルタイの人の手をさらに強く握り返しながら応えた。