三冠馬その3 | 悠飛@FGOブログ

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色んなことを題材に上げていこうと思ってます

今回はその3ということで平成の三冠馬たちに入ります。

実を言うと三冠牝馬のほとんどは平成生まれなのです。


ということでまずは平成最初の三冠馬で全盛期の力は歴代最強と言わしめた『シャドーロールの怪物』ことナリタブライアンを紹介していこうと思います。


ナリタブライアンは半兄(競走馬の血統では父と母が同じ場合全兄、母だけが同じ場合半兄となります)に前年に競馬界を賑わせたBNWのうちの一頭、最強の兄貴ことビワハヤヒデがおりましたが、この年に故障により引退してしまい兄弟対決が実現しませんでした。

※BNWとはビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケットの略で93年世代のクラシックをそれぞれ分けあった世代である。

ちなみにだがビワハヤヒデはこの時葦毛特有の徐々に白くなっていく過程でなぜか顔から先に白くなってしまった為に顔がデカイと言われていた。(実際馬体がでかく、晩年に繋養されていた牧場をGoogleマップで検索するとその馬体が見えたそうな)


閑話休題

事実ナリタブライアンの94年の時の強さはクラシックレースを走る度に着差を広げていき、皐月賞が3馬身半差、ダービーが5馬身差、菊花賞が7馬身差とその実力は確かなものだった。

年末の有馬も勝ち、4歳4冠(現在での馬齢は3歳)をたしとげたのだが翌年股関節を故障し、その強さは成りを潜めた・・・

その後陣営の迷走もあり再び故障し、引退。

さらに不幸なことにわずか数世代の産駒を残しただけで胃破裂により早逝、後継種牡馬もおらずほぼ断絶してしまっている。


ちなみにだが『シャドーロールの怪物』の異名はナリタブライアンが自分の影にすら怯える程臆病な性格だったため、レースに影響が出ていたのでシャドーロールという馬の顔につけるモコモコの馬具を着けてみたところ改善され、それがトレードマークになったことでそう呼ばれるようになった。


血統は父が平成三大種牡馬の一角であるブライアンズタイムで代表産駒にはあのマヤノトップガンがいる




続いては史上二頭目の三冠牝馬であるスティルインラブ

ティアラ路線が桜花賞・オークス・秋華賞になってから03年に初めてトリプルティアラを達成した馬である。

残念ながらこの馬の主な成績はこの三冠で全てを出しきったのかそれ以降の成績は乏しく、加えてその3レース全てで2着だった『女帝』エアグルーヴの娘のアドマイヤグルーヴにエリザベス女王杯を持っていかれてしまった。


引退後も不幸は続き、腸捻転によりわずか1頭を産んでこの世を去った。


血統は平成三大種牡馬の一角で日本競馬を変えた希代の大種牡馬、サンデーサイレンスを父に持つ。




そして1984年に『皇帝』シンボリルドルフが無敗の三冠を達成してから21年後05年、サンデーサイレンスの筆頭産駒にして日本近代競馬の結晶がその名を歴史に刻む。
『英雄』ディープインパクト
この名を競馬ファンならば必ず聞き覚えがあるだろう。
かく言う私もこの馬のファンでした。

ディープインパクトは04年の年末ごろにデビューし、その"衝撃"の走りに皆度肝を抜かれた。
続く05年若駒ステークス、弥生賞を連勝、無傷で皐月賞に挑む。スタート直後に躓くアクシデントがあったものの結果を見れば2馬身半差の圧勝である。
勝利後武豊騎手は「走っているより"翔んでいる"」とコメントを残した程で続くダービーでも圧勝したが、この時ディープインパクトはパドックで尻っ跳ねするほどに走りたがる。我慢ができない程の闘争心を持っており、夏の調教でも池江調教師が苦労したほどである。そしてさらにディープインパクトは生まれながら後ろ足の蹄が普通の馬より薄く、蹄鉄も釘を使えないというハンデを持っており、装蹄師も頭を悩ませて特殊な方法で蹄鉄を着けていたほど。
菊花賞も1週目の3コーナー辺りから突進を始めるというアクシデントはあった(これはいつもならスパートをかけるところをディープが覚えていたことで起きた、彼の頭の良さから来る天然エピソードであり、他の馬が10回で覚えることも彼は3回で覚えたという賢さ故である)ものの、その後は逃げ込みを図る今はヨギボーでダメになっているアドマイヤジャパンをあっという間に抜き去り、21年ぶりに無敗の三冠馬となった。
そして古馬との初戦である有馬記念ではハーツクライにまさかの敗戦を喫して3歳シーズンを終え、4歳シーズンは陣営が凱旋門賞挑戦を発表。阪神大賞典、天皇賞(春)を勝利。しかも天皇賞(春)は当時のレコードタイム。そして宝塚記念も勝利しいざフランスへ。
しかし凱旋門賞は甘くなく、日本競馬とは最早別競技と言えるほど馬場が悪く敗戦。しかも追い討ちをかけるようにディープの体調が悪くなって使った薬がフランスでは禁止の成分が含まれていたことでこれが検知され失格処分となった。
帰国後陣営は彼を有馬記念で引退させることを発表。
これはディープがデビューした年に父であるサンデーサイレンスが亡くなったことで後継種牡馬が急務となったこともあるだろうが、何より彼の後ろ足の蹄がこの先耐えられるか不安だったこともあるだろう。
そしてディープはその後ジャパンカップに出走し勝利。そして引退レースの有馬記念を勝ち、史上三頭目の七冠馬となった(史上二頭目は99年クラシック世代で2000年古馬王道路線を完全制覇しグランドスラムを成し遂げた『世紀末覇王』ことテイエムオペラオーである)
余談だが、私はディープが凱旋門賞に向かわず、国内に専念していればテイエムオペラオー以来のグランドスラムを成し遂げ、史上初の八冠馬になっていたのではと思っている。

そして引退レースの有馬記念では超絶我儘娘のスイープトウショウがゲート入りを約5分ごねたことも有名である

種牡馬となったディープインパクトは数々の産駒を排出。
次回紹介する『鬼婦人』ジェンティルドンナやサトノダイヤモンド、そして彼の後を継ぎ史上初の親子での無敗の三冠を成し遂げた『ド根性息子』または『空に描く飛行機雲』ことコントレイルなどの名前が上がる。
しかし2019年7月30日、脛椎骨折のため安楽死処分となり父サンデーサイレンス同様17歳という若さで亡くなった。
父はサンデーサイレンス、母はウインドインハーヘア、全兄にキタサンブラックの父であるブラックタイドがいる。


今回はここまで

次回は第三代三冠牝馬のアパパネと『金色の暴君』ことオルフェーヴル、『鬼婦人』ジェンティルドンナを語っていこうと思います

それではその4で