皆さん明けましておめでとうございます
今年は何かいいことが続きます様に・・・
というわけで新年最初の投稿は三冠馬について話していこうかと思います。
三冠馬とは牡馬と牝馬で走るレースが変わりますが、一般的には牡馬クラシック路線の皐月賞(中山芝2000m右回り)、全てのホースマンの目標東京優駿(通称日本ダービー)(東京芝2400m左回り)、菊花賞(京都芝3000m右周り)。
牝馬クラシック路線は通称ティアラ路線と言われ、桜花賞(阪神芝1600m右回り)、優駿牝馬(通称オークス)(東京芝2400m左回り)、秋華賞(京都芝2000m右回り)(※1995年まではエリザベス女王杯が牝馬三冠の最終レースでした)となっております。
上記レース3歳馬(旧馬齢は4歳)限定レースとなっており、一生に一度しか挑戦できません。
それに加えて走る距離も場所もバラバラなのでどのレース場でも苦にしない、移動で体調をくずさない馬が勝つことができるレースとなります。
今回は日本競馬史上初の三冠馬で「ずんぐりむっくりした大型戦車」と言われた『セントライト』と「最強の戦士」こと『神賛』についてです。
セントライトとは最程述べた通り日本で初めて三冠馬となった馬です。
性格はもっさりしていて、のんびり屋と言われたようですが、レースでは闘争心を露にして1年間の競争生活で12戦9勝と戦前とはいえ凄まじい頑丈さを持ち合わせておりました。
しかし、産駒は活躍できずに父系では断絶してしまって現代ではその血はほぼ繋がっていないと言えよう
その華々しい戦績とは裏腹に産駒が活躍できないところが競馬の難しいところ・・・
1965年にその生涯を終え、今ではその偉業を称え、菊花賞のトライアルレースに『セントライト記念』と名前が残る。
その後セントライトが亡くなる年に出てきたのが『神馬神賛』で史上初の『五冠馬』となったのがシンザンです。
その走りは鉈の切れ味と呼ばれる程の末脚で自分の前足を後ろ足で蹴ってしまう程柔らかかった為、特注の蹄鉄(通称シンザン鉄)を着けて走っていたとこの事。
史上二頭目の三冠馬を達成したあとは旧八大競争のうち二つで勝利を収め、引退したことで日本競馬はシンザンを目標とするようになった。その後は1984年に無敗で三冠を達成した『皇帝』が『七冠馬』が出るまで目標とされ続けました。
産駒も二冠馬『ミホシンザン』を輩出するなど活躍し、種牡馬引退後は1996年に日本のサラブレッド種の最長寿記録となる35歳(昨年亡くなったナイスネイチャも35歳)で亡くなった。
顕彰馬としても戦前・戦後の競走馬でもトップクラスと認められて顕彰馬制度の第一号として選ばれ、京都競馬場には銅像も建てられた。
そしてその偉業を称え、こちらも『シンザン記念』が設立された。
ただシンザンが三冠を達成してから19年間、『天衣無縫』の『ターフの演出家』、『破天荒な三冠馬』と呼ばれた『天馬』トウショウボーイの子が達成できなかったことからその後難易度が伺えよう。
シンザンの血は昨年大きな反響を与えた『帝王』の孫に受け継がれており、この孫はなんとシンザン以後の三冠馬の血が4頭も入っている非常に貴重な血統が誕生した。
今回はここまでで、今日中にもう1回更新しようと思っております。
ではその2で