第2767段 貧乏神が福の神へと変身
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和6年の年頭にあたり
歌を
貧乏神も 神対応で 持て成せば
福の神へと 変身するらし
この歌の心は、さる12月7日の
朝日新聞の『小山聡子の鬼の居ぬ間に』の
《貧乏神 払うか祀るか》と題してのエッセイを読みての
孫引きなれども
江戸期の戯曲作家である井原西鶴の『日本永代蔵』には
貧しき染物屋の夫婦が元日から七日まで貧乏神を祀りたれば
裕福になりたるとの話あり。
その具体的な内容は、藁人形に質素なる帷子を着せ
頭巾を被らせ貧乏神とし
松飾りの中に置き精いっぱいの持て成しをしての結果とぞ。
裕福になるため賢明なる読者子も見習ひては如何であらうか。
大谷翔平のドジャースとの1015億円の契約金とまでは言はずとも
みちのくは庄内地方に伝はる、江戸期の日本一の大地主の富豪の
「「本間様には及びはせぬとも、せめてなりたや大名に」
の本間様とまでは言はずとも
そこそこの富豪にはなれるかも。。