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千手成庵の雑記雑感

日々、のんびりと・・・・

20日までというので東京・新国立美術館で開催中の「ゴッホ展」へ出かけました。

ゴヤ、ゴーギャン、ピカソなどの有名画家の大がかりな展覧会は20年ごとに開催されます。次回のゴッホ展は80歳を超えますので、今回が最後になるかもとの思いでした。

大失敗でした。

アキレス腱・股関節の状態がよくないのでT字杖で出かけましたが、会場へ着くまでに、すでに痛みと疲れがひどく、入場待ち10分の人気ぶりで会場内も人でごった返しており、とても心静かに展示品を眺めて、という雰囲気ではありません。

絵画の前の人ごみの頭越しに眺める風で、早々に会場を出てラウンジで痛みと疲れの体を休めました。

代表作・話題作も多く、ゴーギャン、マネの作品もあり、体調良ければじっくりと楽しみたかったのですが残念です。まだまだ本格的に動けないことを再確認した一日でした。

気の毒だったのは車いすの鑑賞者で、混雑の人ごみでとても見ることは出来ない様子でした。それに車いすで座ったままの状態では視線がえらく低いので気の毒としか言いようがありません。

バリアフリーは、限定的であるなぁ、と概嘆です。

出ました。年金の受給開始を80歳にする提言です。

何年も前に若い人から、自分たちの世代では将来的に年金をもらえないから
払っても無駄になるのではないかと言われましたが、年金を金融商品として
みるならば、安全で利回りがよいからかけ続けたほうがよい、と答えたこと
があります。

根拠は、ここまで日本人の老後を支える経済的手段としての年金制度の規模
が大きいので、政治的に簡単には潰すことができにくい現実があるからです。

当然、行政は制度存続のために知恵を絞るだろうと考えたからです。

かっては60歳支給開始の年金も、段階的に時間をかけて65歳になりました。
長い時間をかけて国民を納得と言うのか、マインド・コントロールします。

もうひとつは経済的な成長の可能性です。財源が乏しくなっている日本です
が、80年代初頭のメロメロだったアメリカ経済は、その後、IT・金融で
産業構造を変え新たな成長分野を開拓しました。

製造業のチャンピオンの座は、アジア諸国に追いつかれ、情報産業はアメリ
カの後塵を脱することができず、さりとて日本に経済的な潤いをもたらす
新たなリーディング産業はなくシンドイ状況ですが、このままで
終わるような日本ではないと感じるからです。

坂口大臣時代に、年金制度を変え、胸を張って「100年安心」と言って
ましたが、わずか6年で財源不足で破綻が見えてきました。

今回の、年金受給開始年齢を75歳あるいは80歳とする提言は一橋大学主催
の「年金の将来」というフォ-ラムで東大経済学部井堀利宏教授が提言
したものです。

現状の年齢構成・財源制度のもとでは年金制度存続のためには受給開始年齢
を引き上げて給付を抑制するという主旨です。

いずれはと思っていましたが、やっぱり出たか、という感慨を抱きました。

単なる提言なのか、厚生労働省の意向を受けての世論の反応を見るアドバ
ルーンなのかは分かりませんが、ジンワリと迫ってきますネ。
この先が見ものです。

ちなみにアメリカ、イギリス、ドイツ、デンマークでは支給年齢を67~68
歳へ引き上げることが予定されています。



日商の簿記検定3級に合格しました。

行政書士に登録して実務研修や先輩たちから実務に簿記は必要と言われ
6月に受験しましたが完敗でした。甘く見ていたのと計算能力が低すぎ
たことが敗因です。

知識はともかく、計算能力は年齢的に無理ではないかと悩んだの
ですが、「中年の星」先生の温かいアドバイスで気を取り直し
仕切りなおしてチャレンジしました。

考えればサラリーマン時代はスタッフとして財務分析・経営分析も
業務の一環だった時期があって馴染みはあったのですが、簿記は
ワールドが違いました。

今回は、問題が基本的なこともあり合格点の70点を上回る94点で
した。ホッとしています。

早速、税務署での青色申告説明会では、簿記知識が活きて、理解が
スムーズでした。


NHK・BSで嬉しい番組をやっていました。イチローがメジャーへ移ってから10年間に打った2,244本を7時間30分かけて全て放映してくれました。

スパイダーマン・キャッチと称賛される守備やレーザービームと言われる強肩ぶりの映像もたっぷりです。

野球の番組はとんと見ない私ですが、さすがにこれは、すべて見ました。
いやー、しびれました。

フルスイング、バント、流し打ちなどで針の目を通すように守備陣をくずして安打に結びつけます。好守備、好送球とのやり取りもスリリングです。

体格的にはメジャーでは見劣りしますが、メジャーに新たな野球の魅力を展開した功績には唸るしかありません。

どこか求道的な修行僧の雰囲気があり、野球道を目指しているような静かな闘志を感じさせるのも見ていて嬉しいところです。

反射神経と動体視力が抜群なことは体のバランスをどんなに崩していてもバット打点はボールを正確にとらえ打ちたい所へ打ちたいちから加減で絶妙にコントロールされていることです。

イチローのバッティングを見ていると90年代にフェザー級で活躍したナジーム・ハメドを思い出します。

http://www.youtube.com/watch?v=pfUFYtXNN0A&feature=related

王座を15回防衛し、戦績は37戦36勝 32KO 1敗です。

セオリーを無視した変則的でトリッキーな天才的ボクシングで、最初見た時は驚きました。ノーガードで相手をおちょくるような動作で闘いKO勝ちを続けました。強いことは強いのですが行儀・素行が悪く、「悪魔王子」がニックネームでした。

ウェービングで体のバランスを崩しながらも放つパンチは、スローでみると拳の先はしっかり体重が乗っていて相手の急所を正確にとらえていました。

登場シーンもド派手、衣装もド派手で、のちに総合格闘技の須藤元気や山本キッドが格闘技スタイルも含めてまねをしたようです。

ハメドはこれからアメリカで本格的に活躍と期待されましたが、9.11テロの影響で、アラブ系ボクサーのハメドの活躍の場はなくなっていきました。

昭和40年代の三島由紀夫は、当時の若者にとっては、とにかくカッコよくタレント並みの人気でした。

東大卒のエリートでノーベル文学賞候補になる流行作家、作品の多くは映画になりました。「平凡パンチ」にもよく登場してエッセイを書き、テレビでもボディビル、ボクシング、剣道で鍛え上げられた肉体美で出演して見栄えがしました。

文壇での評価も高く、演劇、映画、芸能界との付き合いも華々しいものでした。盾の会や全共闘との討論など、右翼的な言動も、文学者・三島由紀夫のスーパースター振りの一環のように見られていました。

それだけに40年前の自刃事件は、まさかという意外と衝撃が混じったものでした。当時、私は京都で学生生活を送っていましたが、事件の翌日、技術論の講義で星野芳郎教授が、急遽、授業を変更して、三島由紀夫について昭和20年8月15日の終戦の日に三島が作った和歌を手はじめに三島にとっての「日本、天皇、文学者、思想、行動」を熱く語ったのを覚えています。

かって江田島の海軍将校で後に左翼の技術論の第一人者として活躍した星野芳郎教授が三島由紀夫について詳しく論じたのが意外だったことも印象的でした。

話題の人ですし、日本を代表する文学者として有名ですから私もいくつかの作品は読みましたが、「仮面の告白」はホモ青年の心情そのもので不健全・退廃的・変態的で嫌な感じを受けただけです。

「金閣寺」も身勝手な思い込みの激しい主人公の美意識にはとても共感を覚えるものではありません。

「潮騒」は吉永小百合の映画で見ましたが、甘ったるくて見ちゃおれないものでした。

事件後、マスコミは特集号を出して論評盛んでした。日本文化防衛、葉隠武士、陽明学、三島美学、天皇制復権など政治的・文学的立場からの論評、メッセージです。

そんな重々しい論調が多いなか、「週刊現代」の特集号だったかに、当時の放送作家・タレントで後に東京都知事になった青島幸夫がコメントを書いていて「なんでみんな大騒ぎをしているの。たかがオカマのヒステリーでしょう。」とバッサリなのが印象的でした。

その特集号には三島由紀夫の死を自ら予測しているとして「太陽と鉄」が紹介されていましたが、早速買って読みました。自刃に恋焦がれる裏付けとも言うべき本で、驚いたものです。

後に石原慎太郎が「太陽と鉄」について解説本を出しましたが、これはこれで石原慎太郎節が炸裂したものでした。

三島瑤子夫人は後に「死にたいから死んだのでしょう。」と恬淡としてますが、然りと考えます。

マスコミ、ジャーナリズムと縁浅からぬ三島でしたから、その後も、命日にあたりになると話題になっていましたが、随分な年月がたってもなお忘れられずに取り上げられるのは怪訝でした。

テレビの世界では視聴率が芳しくないときは、「忠臣蔵」「新撰組」「戦艦大和」をテーマにすればいいと言われているようです。

共通するのは「滅びの美学」とでも言うのでしょうか、日本人は大義のためには死をいとわないいさぎよさに美を見出し強い共感を覚えるというものです。

無駄死にといえば無駄死にでしょうが、40年たってもなお三島由紀夫が話題になるのは、日本人のもっているDNAとも言うべき心情に根差した行動だったからのように思えます。

古来から太陽よりも月に美を見出し和歌・絵画・文で讃えることの多い民族性も関係しているのかなとも感じます。