千手成庵の雑記雑感 -10ページ目

千手成庵の雑記雑感

日々、のんびりと・・・・

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もう30年以上前ですか、サントリーのウィスキーのテレビCMで川上澄生の版画本「ゑげれすいろは人物」から「へっぽこ先生」が採用されました。

川上澄生の自画像です。明治の文明開化、ぽるとがる南蛮船などをテーマに、エキゾチックでハイカラな版画は一世を風靡したものです。

どこか日本人の郷愁と明治期の進取の気風を感じされる素朴な版画は、今も根強い人気のようです。多くを過ごした栃木には「川上澄生美術館」もあります。

昨年、世田谷美術館で、今年は栃木県立美術館で展覧会があり、見に行きました。すっかり魅せられ「川上澄生全集 全14巻」を購入し読みましたが、版画・詩・生き方と人となりなど多くを知り感銘をうけ、リッチな気分に浸っています。

明治28年に横浜で生まれ東京で育ち、若いころはアメリカ、カナダで過ごし、その後、疎開で北海道で過ごした時期をのぞいて栃木県宇都宮に住みました。

昼は宇都宮学校の英語の先生・野球部監督、夜は木版画作りという生活を送り昭和47年、77歳で亡くなっています。

棟方志功は川上澄生の版画を見て、それまで励んでいた絵画を捨て、版画の道を歩み始めたというエピソードがあります。

多忙な生活の中で、膨大な作品を制作し続けたことに圧倒されます。

幼いころから神戸が生んだ版画家・川上英の作品を見なれていました。明るい色調で港町・神戸の風物詩を版画で表現しています。

同じ版画、時代、港町、洋風など川上澄生を共通点が多いのも、個人的に川上澄生に魅かれた理由でしょう。川上澄生と同時代で、版画を通じての交流もあったようです。

川西英さんは、残念ながら「神戸百景」の復刻版が出たものの全集ができるまでの人気はないようです。ご子息の川上祐三郎さんんも版画家で、父の影響があるものの独自の味わいで神戸風景を表現しています。

こちらの作品も数少なく、古本屋をさがしてもなかなかないようです。
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すっかり死語となり落語の中くらいにしか出てこない言葉です。

いなせ 【鯔背】とは江戸時代、魚河岸の若者が髪を鯔背銀杏(いちよう)に結っていたことから粋(いき)で威勢がよく、さっぱりとして男らしいさまや、そのような気風のことを言います。

久しぶりにいなせなとび職人の姿をみました。

消防署主催の出初式でのはしご登りでの演技です。

小ざっぱりして清潔感の漂う印半纏姿のとび職人たちがで、するするっとはしごの上まで登り、ヒヤリとするような演技を次から次へとやります。

真剣みを帯びた涼やかな目元が印象的で、動作しぐさもピリッとしていました。

伝統は保たれているのだなぁと嬉しく感じました。

半世紀以上前に建てられた東京タワーは、足場をすべて丸太で組んで建てられました。日本のとび職人の卓越した技術に、世界が驚き、注目したことが頭をよぎりました。

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今日、1月22日が「ジャズの日」とは最近知りました。

「1月22日」が、英語表記「Ja22」で「Jazz]似ているからだとか。
まぁ、いいのではないでしょうか。

せっかくの記念日だからと、エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」を聞きました。半世紀前のヴィレッジ・ヴァンガードのライヴです。

ピアノトリオの名盤です。エバンスが亡くなってもう30年になりますが、いまだに人気があり、また新しいファンも得ているようです。

もう何百回聞いたことでしょう。中でも最初の「マイ・フーリッシュ・ハート」は、ビクター・ヤングのポピュラーをジャズとして解釈しなおし、ピアノトリオならでの演奏にして名曲・名演になりました。

「マイ・フーリッシュ・ハート」は、色んな歌手や演奏家が手掛けていルスタンダードですが、エバンスのは飛び抜けていると云うのか、次元が違うと感じます。

ライヴにもかかわらず恐ろしく内省的でリリカル、胸苦しさを覚えるほどの心地よい緊張感を与えてくれます。

ベースのスコット・ラファロとは音楽的結合ともいうべきほど相性がよく、エバンスの数多いアルバムでもラファロとの共演の演奏が頂点だったと個人的には感じています。

革新的・創造的なアーティストとしての日々は過酷で、忘れるために手を出した麻薬は、生涯エバンスを肉体的・経済的に苦しめました。

評伝を読むと、晩年の麻薬に痛めつけられた肉体での演奏生活には悲惨で哀れさを感じます。




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阪神大震災から16年経ちました。

当時、単身赴任で宮城県石巻市に住んでいました。

朝型人間ですからテレビで神戸に大規模な地震発生の一報を見て
すぐ神戸の父に電話すると、「よう、揺れたでぇ。けど、
大丈夫や、べっちょないでぇ。」との神戸弁でいつもの声です。

安堵しましたが、テレビの映像では、火災の広がり死者の数が
時間とともに増えていきます。

気になりつつも出社しましたが、そのあとは数日間、まったく
電話が通じませんでした。

兄弟・親戚・友人が無事と知ったのはしばらくたってからでした。

後で思いましたが父は大東亜戦争で兵役について満州やラバウル
で戦い死地の修羅場を生き抜いた経験があり、死に対して従容と
したところがありました。腹が据わっているというところでしょう。

その後、神戸はボディーブローが徐々にこたえるように行くたびに
街の活気が失われていくような感じを受けます。

少子高齢化もあるでしょうが、経済の勢いが弱まり日本全体が
沈んだ空気に変わっていく時代と期を一にしています。

写真は一昨年、神戸市制120年を記念して神戸新聞社が発行した
「神戸、あのまち、あの時代」の写真集です。

明治22年に人口13万人の農漁村だった神戸が、神戸港の発展とともに
交通、製造業、娯楽が隆盛となり今は人口150万人です。

この写真集でしったのですが、昭和2年に北丹大地震があり死者2,300
人とのことです。関東大地震はしっていても北丹大地震は知らない人
が大半だとおもいます。

風化していますね。

マスコミの阪神大地震の扱いも年々、小さくなっていくようです。
10年ひと昔です。当事者以外にとっては関心も薄くなるのは当然
ですね。

神戸は、故郷であり、私にとってはハイカラでエキゾチックで、
日本で初めてゴルフ場ができ、初めて映画が上映され、初めて
ジャズが演奏された先取の気あふれる明るい港町です。

「ええとこ、ええとこ聚楽館」があった新開地・平安閣で結婚式を
挙げたのはもう30年以上前のことです。

センチメンタル・ジャーニーに憬れますね。
正月気分が残る中、買い物に出かけると市内の佐野ラーメン店は行列が目立ちます。まだ仕事初めでないところも多いのでしょう。

週末になるとおなじみの光景で近隣の他府県ナンバーの車が大半です。
住民としてはプチ嬉しく誇らしい思いです。

佐野市による「佐野ラーメンで町おこし」作戦は成功のようです。
ここ数年で、佐野ラーメンは第2ステージに入ったと思います。

行政が佐野ラーメンを町おこしきっかけに使い始めたのは十数年前です。
当時を第1ステージとします。市は佐野ラーメンマップやのぼりを作って普及に取り組んでいました。

佐野市は北関東に位置し、10世紀には唐沢山(247m)に山城がありました。何度か戦乱で責められましたが落ちなかった堅固な城です。

唐沢山の山頂から関東平野一望です。さえぎるものは何もなく新宿都庁のビル群やスカイツリーがよく見えます。

江戸に火災があったとき、山上にある唐沢山城よりこれを発見し、さっそく江戸幕府に火事見舞いに駆けつけましたが、江戸を見下ろせる所に城があることに危険を感じた幕府によって廃城になり、今のJR佐野駅近くの平地に移転させられたとの説があります。

佐野に来たころ小中学校が光化学フモッグ発生で時どき休校になっていました。工場もないに何故なのかと怪訝に思っていましたが、京浜工業地帯の吐き出す工場ばい煙が海風によって関東平野を流れ、唐沢山などの山々にさえぎられて佐野市市内に滞留して光化学スモッグが発生するというわけです。

これらの山々が多いことで佐野市近郊はゴルフ場がやたらあります。都心のゴルファーにとっては日帰りで行けて値段も安いのは魅力です。

一汗かいたゴルファー達が、途中、小腹を満たすために東北道に乗る前に佐野市のラーメンを食し、駐車場の広い森田屋本店などが人気でした。
ゴルファーの口コミで佐野ラーメンは拡がったようです。

佐野に来たころ、早速、何店かの有名店・評判の店で食しましたが、さして美味いと思いませんでした。スープがやたら濃くて塩辛く閉口しました。
また行きたいと思った店は一軒もありません。

名物に美味いものなしかとはこのことかと思いましたが、考えれば汗を流した後のゴルファーにとっては失われた塩分補給で、濃くて塩辛い位が丁度美味いと感じる味なのでしょう。

土質の関係で小麦作りが盛んなこの地方では、大正・昭和に桐生足利で盛んだった織物工場で働く人たちを相手のファーストフードとして屋台ラーメンがあり、その延長でラーメン屋が多かったようです。

ここ数年、それまでとは明らかに違う佐野ラーメン店の出店が盛んです。
特徴は、関西人の私が飲み干せるくらいスープのダシがきいて美味い、店主が若い、やる気のある表情である、店作り、サービスがキマッテいるというのか接客マナーが田舎くさくない、キビキビしている、青竹打ちにこだわっていない、店舗のデザイン、内装が斬新、清潔、数年前の汚い週刊誌を置いてない、等々です。まぁ、東京の有名ラーメンをイメージしてもらえればと思います。

古くからの有名店は、押され気味ではないかと感じます。