翁の姿で訪れる年神様の信仰とはどのようなものだったのでしょうか?

 

 

年末になると人々は大掃除をして心身を清め、玄関にしめ飾りをして門松を立てます。

 

しめ飾りは神社のしめ縄と同じで、自分の家が年神様をお迎えするのにふさわしい神聖な場所であることを示し、門松は神様が降りてくる目印になりました。

 

人々は大みそかから元旦にかけて家族で家にこもり、静かに年神様の来訪を待ったのです。

 

 

元旦になると、遠方から年神様がやってきて、新しい年齢をひとつ授けてくださいました。

 

以前は年齢の数え方は数え年でした。

 

数え年は年齢を魂の数で数えるもので、生まれたときにすでに1歳で、正月が来るたびに皆でいっせいにひとつずつ歳をとっていました。

 

 

また年神様は年齢とともに新しい年の良い運気も持ってきてくださいました。

 

新しい運気を授けてもらえれば、その年が良い一年になると考えられていました。

 

旧年中の古い運気は大みそかの除夜の鐘や年越しの祓いによって一掃され、新しい年の良い運気を授けてくださったのです。

 

稲には魂が宿るという稲魂の信仰があり、年神様がくださるお餅がお年玉で、そのお餅を食べて古い年魂の自分から新しい年魂の自分に生まれ変わることができました。

 

 

正月の間中、家にいた年神様は1月15日前後に行われる「ドンド焼き」とか「左義長」と呼ばれる火祭りのときの煙に乗って、山の彼方に帰っていきました。

 

この火祭りで門松やしめ飾りを焼き、その神聖な火で餅や団子をあぶって食べると病気にかからない、また燃やしたあとの灰を体に塗ると悪病よけになるともいわれてました。

前回みたように、年神様には民間信仰の年神(としがみ)と陰陽道の歳徳神(としとくじん)の2種類の神様がおられたようです。

 

 

民間信仰の年神は「明きの方」と呼ばれる食物や財宝が豊かな方角からやってくると考えられていて、「前年の冬に雷の鳴り収まった方位」とか「カラスが供物の餅を食べた方位」などの、自然現象や動物の動きから判断する吉方なので、方位の観念から事前に割り出せるものではありませんでした。

 

 

一方の陰陽道の歳徳神はその年のすべての功徳をもち、この神がいる方位(恵方)に向かって行動する事はすべて大吉で、災いを避け幸福になれるといわれていました。

 

その恵方は干支の組み合わせから割り出す方位なので、事前に知ることが可能でした。

 

 

年神と歳徳神の一番の違いはそのお姿で、年神は能の高砂の翁のような白髪の福相の老人であり、歳徳神は写真のような女神様でした。

 

 

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永代大雑書万暦大成より

 

す今年はコロナの影響で全国の有名社寺の三が日の初詣の人出が少なかったようです。

 

分散参拝を推奨しているのでこれから初詣に行こうとしている人も多いかと思いますが、緊急事態宣言が出ているため遠方に行けない人も多いことでしょう。

 

 

遠方の有名神社へ初詣する風習は昔から続いているようにも思えますが、一説によると「明治中期に当時の鉄道会社が神社とキャンペーンをして遠方の有名神社へ初詣する風習を作り出した」とされています。

 

「江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神神社に参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われた」といいます。

 

遠方への初詣は鉄道網が発展していった明治からで、それ以前は近くの氏神さまへの参拝が普通だったのです。

 

 

また節分に恵方巻を食べる風習も自分の子供の頃にはなかったので調べてみると、平成10年頃からコンビニの会社が仕掛けて全国的に広まっていったようです。

 

一見するとはるか昔から続いているような風習でも意外と最近始まっていたりするものがあります。

 

 

ところで、初詣のもとになった恵方詣りですが、もともとは恵方に“行く”のではなく、恵方から神様を“お迎えする”信仰でした。

 

 

その神様は年神(としがみ)または歳徳神(としとくじん)と呼ばれ、門松を通って家の中に入ってきて、臨時に作られた年神棚に祀られ、その年の幸いをもたらしてくれると信じられていました。

 

また恵方という方位観についても陰陽道が入ってきてから意識されるようになったようで、それ以前の民間信仰では「前年の冬に雷の鳴り収まった方位」とか「カラスが供物の餅を食べた方位」とかが明きの方(恵方)であり吉方とされていました。

 

 

なので、恵方の方位がわからなくても、たとえ初詣ができなくても、あなたの家にもすでに豊かな富と幸福を授けてくださる年神様は来ているのではないでしょうかウインク