自然暦はその土地の気候の実情に即し、その年の気候の変化を忠実に反映するので、農耕に最も適していました。
農作業は太陽の動きにより一年を通してその手順と気候との兼ね合いを考えなければならないので、この頃の自然暦は太陽暦に近いものだったと思われます。
一方で漁業にたずさわる人々は、潮の干潮に密接な関係のある月の満ち欠けに対して深い関心を持ったと思われ、ひと月の始まりから終わりまでが月の出現と隠れるまでに対応する、太陰暦に近い暦が用いられたと考えられています。
そして、早くから農業のための太陽暦と、漁業のための太陽暦との調和が考えられたでしょう。
自然暦は水稲耕作が始まった初期の段階ではほぼ一致していたでしょうが、水稲耕作の地域が全国的に拡大するのにともない、また山間部と海岸地方の違いなどもあり、次第に地方地方によって気候のずれが大きくなっていったものと思われます。
自然暦は地域限定なので広い範囲で使用することができないし、長期にわたり連続した暦法として使用する上では不便になっていきました。