1975年4月6日、桜花賞。
春爛漫。クラシックのなかでも最も華やかといわれる桜花賞。
若き牝馬たちの祭典。
綿々と綴られた歴史。
桜舞うなかの激突は大波乱も呼び、華やかさのなかに厳しい現実を見せつけた。
群雄割拠、百花繚乱のときもあれば、『桜の女王』にふさわしい断然人気の乙女の出現もあった。
単勝1.2倍で勝ったブエナビスタ。レッドディザイアと半馬身差。
同じく1.2倍のハープスターはレッドリヴェールとクビ差。
激戦の末につかんだ『女王』の座。
断然人気といえど、勝つことは生易しいものではない。
過去79回を数える歴史の中で、その歴史を知る者に『最強牝馬』ではないか、といわれているのがテスコガビーだ。
1972年4月14日生まれ。
父はテスコボーイ。初年度産駒ランドプリンス(皐月賞)、3年度目キタノカチドキ(皐月賞・菊花賞)を出し、大種牡馬へと期待される輸入種牡馬だった。
母キタノリュウは25戦1勝と平凡な戦績ではあったが、その牝系を遡れば小岩井農場の基礎輸入牝馬ビューチフルドリーマーへとたどり着く、良牝系。
480㌔台の雄大な馬体、その毛色は青毛(漆黒に近い毛色)。威圧感あふれる馬体と走りから評判を呼び、1974年9月に新馬戦デビューから4連勝。
より強い相手を・・・・・・桜花賞2走前に対戦したのが牡馬のカブラヤオーだった。
1975年2月9日。東京2歳S。
デビュー戦こそ2着だったカブラヤオー。その後、3連勝。3馬身、6馬身、10馬身と走るたびに2着馬との着差を開き、『怪物』ぶりを発揮していた。
テスコガビー、カブラヤオーともに主戦となる騎手は菅原泰夫。迷った挙句に菅原が選んだのはテスコガビー。
クラシック前の『世紀の対決』といわれ、1番人気はカブラヤオーだった。
ともに逃げて勝ってきたテスコガビー、カブラヤオー。どちらがハナ切るか?も注目されたが、先頭はカブラヤオーだった。
2番手に控えたテスコガビー。
直線、激しい叩き合いとなったが、カブラヤオーに寄られる不利もあり、クビ差負けとなったテスコガビー。
唯一の敗戦となった。
3月16日、桜花賞トライアル・阪神4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)をレコード勝ちし、桜花賞へ臨むこととなったテスコガビーだが、強敵は見当たらないのが、本音だった。
父セントクレスピン、母テーシルダ。『貴公子』といわれた良血タイテエムの全妹トウフクサカエ。
血統的には対抗でき得る良血ではあったが、7戦2勝、2着2回、桜花賞が初重賞出走という存在だった。
父は『2冠馬』タニノムーティエのタニノサイアス。父譲りの後方一気の末脚で紅梅賞を勝つ。
唯一無二の武器『鋭い切れ味』でテスコガビーをどこまで追い詰めるか?
トライアルの阪神4歳牝馬特別の2着キシューファイター、3着サウンドカグラ、4着エナージスター、5着シルクバンダ・・・・・・走る以上は、めざす『打倒 テスコガビー。
単勝1.1倍。テスコガビーに死角はあるのか?
22頭多頭数。『魔の桜花賞ペース』といわれ、逃げる馬には過度なハイペースによる自滅が待ち受けているのが桜花賞。
逃げるテスコガビー。唯一の不安を上げると、これしかない。
3枠7番テスコガビー。スタート、4,5頭横一線の先行争い。
押して、押して、出て行ったのはテスコガビーだ。
ウガンダシローが外から喰らいついて行く。
ハギノクイーン、イブサン、シルクバンダ、必死で追いかける。
中団を追走するのはトウフクサカエ、ジョーケンプトン、サウンドカグラ、エナージスター。
後方から上がり脚を見せるグリーンファイト。
後方じっくり溜めるのはタニノサイアスだ。
さすがのテスコガビーにも辛い流れ、か!
3コーナーから4コーナーへ。
ウガンダシローが早くも下がり始め、ようやく独り旅となって差を開き始めたテスコガビー。
2馬身、3馬身、4馬身・・・・・・と、差を開き始めた!
2番手に出てきたのはハギノクイーン!
トウフクサカエが外を回って先団へ!
後続が差を縮めてきたが、
テスコガビーは7馬身ほどの差をもって直線に入った!
さ、どこまで差を詰めるかッ、後方馬。
見る者すべてが唖然とした・・・・・・。
差は縮まるどころか、開いて行く。
鞍上・菅原がムチを入れるや、加速して行ったテスコガビー。
8馬身、9馬身、10馬身、後続を離す一方だ!
懸命に差を広げるテスコガビー。
何と戦っているのだッ?
テスコガビーの前には、見えない敵がいた。
唯一、敗れた相手、カブラヤオー。
まだまだ、これではカブラヤオーは倒せないッ!
テスコガビーの激突の相手はカブラヤオーだった。
ジョーケンプトンが馬群から抜け出し2着。
3着に上がったトウフクサカエに、内を割って鋭く追い込んだタニノサイアスが襲いかかった!
その時すでにテスコガビーはゴールしていた。
ジョーケンプトンにつけた差は1.7秒。10馬身以上の大差勝ち。
いまだ破られることのない最高着差でテスコガビーは桜花賞馬となった。
その後、オークスを8馬身差(中央競馬会設立後、オークス史上最高着差)で逃げ切ったテスコガビー。
同世代牝馬に敵というものは存在しなかった。
一方のカブラヤオーは皐月賞をロングホークに2馬身半差の逃げ切り勝ち。
ダービーでは1000m通過58秒6というハイペースで逃げ、ロングファストに1馬身4分の1差。逃げ切り勝ちでダービー馬となった。
とんでもない牡牝の『怪物』、カブラヤオー、テスコガビー。鞍上は同一騎手、菅原泰夫だった。
春のクラシック『4冠』という、騎手としてこれ以上ない『絶頂感』を味わい、これをきっかけに一流騎手として飛躍することとなった。
『3冠』をめざす2頭だったが、カブラヤオーは屈腱炎を発症、テスコガビーは右後肢を捻挫、ともに長期休養となった。
カブラヤオーは1976年5月復帰、4戦3勝したが屈腱炎再発、引退、種牡馬となった。
産駒は中堅クラスが多かったが、タマモクロスの半妹ミヤマポピーがエリザベス女王杯を勝つほか、ダービ2着のグランパズドリームを出している。
テスコガビーも1976年5月復帰したが、ダート・オープン戦で6着。今度はトモを傷め、再び休養。
復帰のため調教が開始された1977年1月19日。突然前のめりに転倒。心臓麻痺で死亡した。
どこまで強さを見せてくれるのか?
故障で、ファンの期待は消え。
どんな仔を産んでくれるのだろうか?
すべて、すべて、夢は消えた。
黒く雄大な『超グラマー美女』といわれたテスコガビー。
『史上最強牝馬』。
紛れもないその強さ。
ただ、ただ、あなたの子孫の走りを見たかった。