コソボ共和国にある、セルビア教の聖地を行く その2 | 社会人だけど、なんとなくひとり海外・・

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昔は、元バックパッカー。今は時間が許されれば海外へ足を運ぶトラベラー。まだ日本の方々が少ない国々に、ツアーを使わず、オリジナルで、ゆる~く旅しています。

 
このブログを見て頂いた皆さん、如何お過ごしでしょうか?。
 
今回は、前回からの続きで、コソボ共和国内にある、セルビア教の修道院を訪問した際の模様をお伝えします。
 
 
 
日本から離れて、この日は4日目。
 
 
コソボ共和国のペヤ(セルビア語では、ペチと呼びます)という街にある、2つの修道院を訪れました。
 
最初に向かったのが、ペヤから更にバスでデジャニという街にある、「ヴィソキ、デジャニ修道院」です。
 
街中に行き先標識などなく、田舎道を辿りながら歩くこと約20分程に、その修道院はありました。
 
外観は見ての通り、普通の教会のような建物です。
 
 
 
 
 
敷地内には、信者さんらしき人達と、修道院スタッフ達がお茶をしていたりと、和やかな雰囲気でした。
 
 
ただ、観光客らしき人は、私以外はいません。
 
 
私は、観光客なのか、信者さんなのか…。
 
 
実は私自身、セルビア正教会とは宗派が異なりますが、キリスト教のカトリック信者でもあります。
 
この宗教的価値観を理解しての訪問なので、思い入れに関しては通常の観光客以上かと。
 
それだけに、何とか辿りついて良かった~。
 
 
 
 
さあ、教会の建物内に入ってみましょう。
 
 
建物自体は外観見てわかるように、そんなに大きくはありません。
 
 
ただ、入ってすぐ奥の方を見た瞬間、想像を越える光景が目に入ってきました。
 
 
それが、こちら。
 
 
 
 
 
荘厳。です。
 
ここは、建物内の中心の聖霊台になります。
 
もう少し、近づいて見ます。
 
 
 
歴史的重厚感って、こういうことなのかと。
 
 
聖霊が宿っている空気が漂っています。
 
 
描かれてる絵画も、相当な佇まいが。
 
 
聖霊台の右横にある、赤い布に覆われた棺は、創立者のウロシュ3世のもの。
 
彼の遺骸は、病気を直す力があると伝えられているようです。
 
 
一つひとつの「物」に、歴史があります。
 
 
 
次に、聖霊台から見て、右側の方に行ってみましょう。
 
 
 
 
 
装飾された聖者や描かれた絵画が、つい数年前のものではありません。
 
おそらく、何百年単位前に施され、描かれたものとかになるのでは。
 
何かを語り掛けてくるような、良い意味での圧迫感があります。
 
聖霊台からみて、左側の方も行ってみましょう。
 
 
 
装飾されたものは置かれていませんが、壁に描かれた絵と、窓から入る太陽の光で、建物内の荘厳感を増長しています。
 
それにしても、建物内の殆どの壁には、このような絵が描かれています。
 
その存在感が、とにかくすごい。
 
 
 
 
オスマン朝時代において、略奪などにより歴史的建造物も大きな被害を受けたようですが、
 
 
この修道院は、被害を免れたようです。
 
 
 
 
 
天井の上まで、ぎっしり描かれています。
 
 
いつ頃に描かれた絵なのでしょうか。
 
 
言葉になりません。
 
 
 
セルビア正教会系列の東方正教宗派として、例外的に彫刻による装飾が見られるのが、この修道院の特徴のようです。
 
 
 
 
保存状態に関して、ここまで塗料が残るのも凄いことではありますが、所々描かれた絵画が消えかけてしまっています。
 
それがさらに、長年の歴史の積み重ねを訴え掛けてきます。
 
こうした絵画が、建物内一面に沢山描かれているのです。
 
 
前回のブログに書いた通り、2007年に、対立するアルバニア系の民族の方が手榴弾を投げ込み、この建物を焼失させようとしました。
 
*コソボ共和国内の、ここ含め4箇所のセルビア教修道院は、世界遺産ではあるが、同時に危機遺産にも指定されています。
 
 
例え、対立しあう者同士であっても、壊してはいけない「一線」というものがあるはずです。
 
この「一線」は、絶対守らなければならない。
 
 
この時代まで残った建物を後世に残るためにも。
 
そして、「人間」としても。
 
 
 
 
この建物の中で、色々な出来事を思い返してました。
 
 
この修道院に無事に辿りつけるよう、前回のブログで書いたバスの隣に座った、道順を教えてくれたおばさん。
 
 
この国の人口比率からして、恐らくアルバニア系の方かと思われますが、セルビア教のこの修道院の行き方を丁寧に教えてくれました。
 
 
だが一方で、この建物を破壊しようとしたアルバニア系の方もいます。
 
 
過去の経緯から、激しく憎悪を持ち、相手を苦しめる行動を起こす人達もいれば、
 
例え対立しあっても、後世に繋げていかなければならない文化的価値観を許容する人達もいます。
 
 
感情だけに流されない姿勢を持たなければならない。と。
 
 
ここの場所に来て、強く感ました。
 
 
 
 
 
更に、セルビア正教が用いてる(イレウス歴)元号において、この日はキリスト教にあたる「復活祭」の日でもありました。
 
復活祭行事で入場出来ないのではないかと、少しばかり恐れていましたが、問題なく入れましたし、私に接してくれた修道士さんが、「一緒にお祝いしましょう」と、復活祭行事に用いる色のついた卵を私に渡してくれました。
 
その想いが、何より嬉しかったです(^_^)。
 
頂いたカラフルな卵を、聖霊台横のウロシュ3世の棺に起き、ここまで辿りつけたことを感謝するため、お祈りを捧げました。
 
その修道士さん、きっと、私の振る舞い見て、カトリック信者と見抜いていたのでしょうね
 
*余談ですが、午後に訪問した修道院では、修道女から「貴方はカトリック信者ですね」と言われました。
 
 
ちなみに、この荘厳感のある建物内には、記帳するための分厚いノートがありました。
 
ページをめくってみたら、、、。
 
 
 
日本国大使のメッセージが添えられてました。
 
短い文章でお互いの民族の価値観を許容する、素敵なメッセージなのかと思いました。
 
*コソボには日本国大使館は未設置であり、オーストリアで管轄してます。そんな状況下でも小井沼大使が、ここヴィソキ、デジャニ修道院まで足を運ばれたことには驚きでした。この修道院の価値観の高さがわかりますね。
 
 
 
聖堂から出たあと、少しばかり外で敷地内を散歩し、頭の中を整理しました。
 
巷では、「世界遺産巡りが趣味」とか話す人達がいますが、
 
こうした、訪問する方が少ない危機遺産や世界遺産もしっかり目を向けることも忘れて欲しくないかと思います。
 
長年の積み重ねた歴史的重厚感に感動したひとときでしたが、
 
その後に向かった、ペヤの街にあるもう一つの修道院(ペーチ総主教修道院)も、また想像を遙かに絶する歴史的重厚感に圧倒されてしまいました。
 
次回は、そのもう一つの修道院に向かいたいと思います。
 
 
最後まで見て頂き、ありがとうございました。
 
 
 
ちゃお