熊が近くにいるということ | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

何なら郊外に行けば熊が出るような田舎に住んでいるが、定期的に熊は現れる。

ニュースアプリに居住地の位置情報を登録しておけば近くで目撃情報があれば通知が入る。○○に熊の目撃情報がありました、と。

そして当然のように警戒しながらそのあたりを通過しなければならない。生活道路だろうと国道だろうとお構いなしであるから。

人が道を敷く場所は選ぶが熊がどこに行くかは選べない。

共存できるのであればそうするがそうもいかない状況ならどうにかしなければならない。

誰でも熊の対策ができればいいが、武装して狩猟できるのは本当に一部の限定された人だけである。

一般市民に何ができよう。対策をしても急に接近して来るならば不意打ちも同然、万全な対策など不可能と言ってもいい。

スプレーとか鈴とか持っていけばいいだろう、といっても急接近してくる野生の生き物なんて冷静に対処することなんてできない。

なので本当にガチガチに固めるか、プロに依頼するか、それらができなければそもそも近寄らない、とするしかない。

都会でああだこうだ言っている人は気楽でいいですね、熊が出ないから。

そんなこんなで熊と共存とか甘い認識の発言を繰り返す人は半ば白い目で見ている。

実際にやってこられて襲われたらどうなるか、その人だけでなく周囲がどうなるか、影響が果てしないから、

熊に餌付けとかやる人の心がわからないし、そもそも見てしまったらまず全力で逃げ切ることしか考えない。

生活圏に熊がいるとは命の危険がそばにある、ということである。

一撃喰らったら死ぬ危険がある存在が近くにあれば抗議の電話なんてまずかける余裕もない。

排除するか追い払うしかない。

それでもきっと福島町や羅臼岳の熊の駆除について抗議の電話が鳴りやむことはないのだろう。

愛護なんてのはどこまでも絵空事です。

誠に遺憾である。