発達障害とは弾かれるために生きなければならぬのか | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

発達障害で検索をかけるととにかく発達障害をいかに一般就労の内側にいれないか、いかに弾くかみたいな検索結果が続々と出てくる。

面接や試験でいかに外すか。

クローズで潜り込もうとするとテンプレートを一から十まで暗記して発達障害とばれない答え方をするような余計な苦労をするし、

たとえ試験や面接を潜り抜けても、あまり異質な者に付き合いすぎて他の人々が精神的にまいってしまうのも困る。

まあ、自分が人事の担当だったとしても自分みたいなのがいたら多分無意識的に弾くね!なので、

発達障害についての認識が若干広がった結果、弾く方法だけ推し進められ、

実際に働くにも、仕事の上で救いようがない、仕事に組み入れる方策がまだ見つかっていないのが発達障害の現状だと思う。

明らかな診断が出る前から親には「こいつは企業の面接には通らん」とか言われていたので、未診断のとき試験重視の仕事を選んで潜り込んで玉砕した。

そして仕事でメンタルがボロボロになった後で心療内科に行き、検査を受けたら案の定自閉症スペクトラムでした。

その後はずっと障害をオープンにしながら障害者就労や作業所で食いつないでいます。

隠しても何らいいことがないがオープンにしたとたんに選択肢が減る。減りすぎて虚無を歩いている。


しかし、作業所の工賃だけで生きられる収入なんてこの何でも値上がりする世の中では無理なので、

どうしても障害年金をプラスしてやっとトントンくらいの感覚になる。

多分障害年金がなかったら作業所で、なんて思わないで一攫千金で一般企業を狙って弾かれていただろう。年金があるから妥協できるのである。

発達障害(精神の障害者手帳)があっても年金が支給されなければ収入なんてないので、

普通の給料の出る企業に入らなければそもそも生活が成り立たない。でなければおとなしく生活保護に叩き込まれるしかない。

なんという罰ゲームか。

私が一人暮らしをしていたときは工賃と年金と仕送りがあってかすかに貯金ができる程度だった。

それだけでなんとかする生活を強いられるのである。仕事はしたいが出来る仕事がない。見つからない。あっても検査で弾かれる。

発達障害なんて全人口の数パーセントいるのに、その大人数を弾いてでも集団の和は保たねばならないのだろう。

なんとも辛い話である。では発達障害に望んでなったわけでもないのに一体何をしろと言うんでしょうかね。

働けというのに働こうとしたら弾かれる。ダブルバインドみたいな人生である。

そういう思考を繰り返した結果、人間関係自体が嫌になって、うんざりして一人の世界を築き、

仕事以外は自室に立てこもり一人の趣味を展開することで精神の安静を保っている。

弾くのはいいけれど勝手に弾かれる人って案外多いんですよ。自分みたいに大学をきちんと卒業しても何ら変わりはない。

むしろ勉強がそれなり以上にできるだけ一層厄介である。障害が見えにくくなるが、見えたら致命的なのは変わりないので。

人生諦めが肝心とかいいますが、働くことから弾かれて何を諦めればいいのか。人生自体か。

誠に遺憾である。