周りからは自己肯定感を高めるとか何とかかんとか言われているが、
覆せるなら障害なんて名前では呼ばれないし、覆せられないからこそ障害なのである。
そんな感じでやりたいことと、実際に出来ることが乖離して、実際に自分で出来ることも何やかんやで制限されて、
特に一日フルタイムで働けるわけでもないですよ、となったときにこう、人生とは何かをえぐく考えてしまうのである。
端的に言えば「なぜ生きるのか」と。
産まれてきてしまったものに生きる理由などない。しかし死んではならないと言われる。
人は、生命は死ぬことが定めなのになぜいま死んではならないのか。というどん詰まりのところを考えるようになってしまうのである。
仕事でも仕事っぽいことでも何らかの労働や日課で集中することがあって、深刻なことを考えないで済む手段があれば考えないで済む。
しかし何もすることがないし、何も出来ることがなくなれば生きることそのものを考えざるを得ない。
まるで自然に死に向かっていくように。
いずれは死ぬことが決まっている、老化を避けられる技術が出来たとしても突発的な事故を避けることはできない。
歳をとらないとしても大事故に巻き込まれれば一発である。即死なんて考える隙もないから完璧な死である。
生きることそのものについて触れていけばいずれ訪れる死の話に自然に向くように造られているのに、何を逃れることができよう。
そういう流れを心療内科で話すたびに、抗不安薬や精神安定剤、抗うつ剤などが状況に応じて処方され服用することになるのである。
なぜ人間がいずれ死なねばならないのか、は人間の永遠の問いかけではないのか。
誠に遺憾である。