天竜川水門の事故を受けて考える | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

この間の天竜川水門にぶつけた事故の情報を仕入れて「生き急ぐとはこのようなことであるか」と私は思いました。

私の車?排気量もあって加速も速度維持も何もかもトロいですよ。

私はたとえお金があっても運転は下手くそだから速く走ることの出来る車には乗ってはならないのである。

自動車学校を出るのに規定の路上訓練では足りなくて、補講を受けてようやく実技試験が終わるような人間に何を期待しますか。

そのような人間だからスピードも出さないし大抵後に車がつまる。

だからといってスピードを出したら事故を起こす。

そもそも制限速度ピッタリに走って後からパッシングされたりとか、

それ速度違反する方が間違ってないですか、と何度心の中で突っ込みながら走行しただろうか。

確かに車道を走行するときは周囲の流れに合わせてといわれる。

しかし制限速度を十キロ以上オーバーして心安らかに走れますか。私は走れない。

それで「空気が読めない奴だ」と言われても一体何すればいいんですか。速度超過した暴徒になれとでも言うのですか。

それやったらまず間違いなく天竜川水門の事故プラス周囲を巻き込むことになりますよ。

運転が下手なのを自覚しているから、免許の重さを自覚しているから、

私は道を走り急いで生き急ぐ人の気持ちがわからない。

誠に遺憾である。