老後は田舎に引っ越して田舎暮らしとかいいますけど世の中どうなっとるんかのう、と田舎民は思う。
ぶっちゃけこんな貧弱なインフラでどうやって生きろと言うんですか、
畑は耕しているけれど、それ以外のことを常に考えられるようになってから来て下さい、と思うのである。
車はないと死ぬ。バスなんて来ないし電車に乗るのに駅まで徒歩数十分かかる。そして電車は一時間に一回か二回くらいしか来ない。
ちょっと散歩するだけでも路面は金がないからガタガタであり、一向に整備されない。穴が開いたりヒビが広がったらそこだけ埋める位しかできない。
病院に定期的に診察に行くにも、まず病院のある街中まで自力で行かなければならないから、まず足を確保しないとろくに動けない。
とりあえず脳外科はないから脳出血か何かで倒れたら生存率は下がる。下がった(実体験済)
そして行けたとしても通院待合診察検査お薬帰宅で半日か一日がかりとなる。良い医者を、となったら片道でも一時間以上かかることになる。
免許も返納する時期にさしかかったら、家からどう出てどう移動するのか。もはやタクシーでも呼ぶしかあるまい。高い金を払って。
足腰が弱る時期に足腰に過酷な環境に移れば最早畑を耕すという段階ではない。
そこからさらに特養や老健に行かなければならないとしたらもう誰がどうすべき問題なのだろうか。
ついでに野生の動物にももれなく襲われる。昆虫でも哺乳類でも対して変わりはなく、危険があるだけである。
野生の動物だけでなく田舎特有の人間関係にも襲われる。
監視、というわけではないが、人が少ない分誰が何をしているのかはっきり見えるので、結果的に監視に近い状況になる。
ゴミはいつ出したか、とか、いつどのような人が来るかとか。そこに加えて町内会のしきたりとか色々な人間の感情の余計なものがついてくる。
私のように人間関係なんてもうたくさんだ、という人は畑にこもって出てこないし、まず町内会とか人の集まりに出ないが、
それはそれであれこれ不審者みたいな扱いをされるだろう。何をしているかわからない、という意味で。
過疎地になるのもやむなし、である。田舎に住めば確実に一人、一家族だけではいられない。
都会に行けば隣が誰だか分からなくなるが、近所迷惑なほど音を出したり、周りに危害を加えたり、奇行に走らなければ特にわからなくてもいい。
薄い、極めて薄い人間関係に憧れている人は、何故田舎のような人が密接に絡み合って入り組んでどうしようもない場所に来るのかと首を傾げる。
隣が誰かなんて心底どうでもいい話題なのに人はそれをやけに気にする。
こちらから踏み込んだりしないからこちらに踏み込まれない、ということがどうしてできないのか。
何もしないからこっちを真剣に見ないでください。人間に包囲されたくない人間は当然人間に包囲されれば疲れ果てるわけである。
どうして畑を耕すことだけに専念できないのか。なぜ自然と関わりたいのに人が突っ込んでくるのだろうか。
誠に遺憾である。