発達障害の当事者として迷惑な部類に入るのは「私発達障害っぽい」と言うだけで診断も受けようとしない、
自称でしかない発達障害(仮)みたいな人々である。
本物の発達障害なんて人前で軽く言えるような軽薄な物ではありませんから。
障害って辛いんですよ。
人という人とぶつかり、意見が正面衝突したり、横からぶつけたりえぐったりは日常茶飯事であった。自分が突っ込むという意味で。
その他コミュニケーションもまともにやっているようで少し時間が経つと違和感が目立つようになったり、
その他の日常生活でもなんか解らんけどなんかおかしい、という言動が目立つようになり、
そういう積み重ねが月単位年単位で蓄積されて「あいつ何か怪しい」と口々に噂されるのである。
言い訳とか弁明の段階はとっくに超えて、社会不適応とか、集団に対する被害とかの話にいずれ移行するレベルである。
自分が症状を完璧にコントロールしている(自称)みたいなもので、自分の目では何とかしているように見えるが、
他の人、他のチーム、ほぼ全ての周囲はどうにもなってない、どうしようもない、と判断されるような事である。
グレーゾーンもなんか勘違いされているが、グレーというのも病院に診断を受けに行って正式な検査をしたけれども障害の手前の位置にある、
本当にギリギリでセーフ、知的障害で言えばIQがギリギリで70越えているから助かってますよ、
実際には境界知能という用語があるようにまた別な問題が生じてくるが、みたいに、
いくつかの発達障害の診断に当てはまる所はあるけれど医師が総合的に見て、生育歴や問診面談検査をしてもそこまで重度、深刻ではない、
となるから正式な名前が出ないグレーゾーン、境界扱いにされるわけで、何も検査や通院をしていないのはグレーでも何でもない。
何なら真っ白である。まだカルテにも問診票にも何も書かれていないという意味で。
診断を受けようとしないとは病院に行く意志もないということであり、単なる言い訳のレベルで発達障害を扱う名誉毀損レベルでもあり、
そもそも障害とみなされるのは「社会生活において重大な不具合が生じている」から然るべく診断されるのであって、
スナック感覚で「障害」という単語を振り回されても困るわけである。特に自己診断とかネットの記事だけ見て軽々に判断するような人は。
どうやっても上手くいかん、とか、どうしたら、というあらゆる方法が弾き飛ばされるとか、そしてそれ故に悩む、という絶望的な理由ではない、
混乱したその場を乗り越える言い訳のバリエーションとして、どぎつい発達障害なんて言葉を使われてアピールされても、
その場に居合わせた当事者(私)なら「そんなに疑うのならとっとと病院行けよお前」と言いたくなる。
それでその発言を理由に迫害されたと言われても、自称障害者なんて本物の障害者にもどうしたら、どう扱っていいかわからない。
「障害者」なら差別はできないが「自称障害者」は必ずしも「障害者」ではない。
白馬は馬ではないというような、詭弁みたいなものだと思われるだろうが、自称するだけならどんなことでも言えてしまう。
たとえ障害がなくても障害と言えばそういう扱いを受ける。なんでわざわざ不利な立場に自らを置きたいのかは理解できませんが。
「障害」というのは医師の行う検査や診断を経て、診断書や手帳など、明確な証拠を有して初めて名乗れるものである。
目が見えない、人工透析用のシャントや心臓のペースメーカーを埋め込んだ跡が見える、
関節が変形したり手足が無くなっている、なら障害と名乗るまでもなく見た目でわかる。
しかし発達障害というのはなかなか目には見えないものである。外見的な特徴が何かあるわけでもないから自己申告みたいになってしまう。
それでも正式な診断があるとないとは格段に差があるわけである。医師が「発達障害」というなら然るべきケアをしなければならないが、
自分だけで「発達障害」と言っても発達障害でもなんでもない。障害者手帳とか診断書など明確なものがあって初めて言えることである。
「発達障害」という言葉を使うのであれば即時提示出来る明確な証拠を持ち歩きながら言っていただきたいものである。
「発達障害っぽいですがこれからどうしたらいいですか」とも言わずに「発達障害っぽい」という語尾で何をどうすればいいのか。
私のような当事者なら、まずは心療内科か精神科の門を叩いて、診察を受けてくれ、まず白黒ハッキリさせないと何もできない、と言うだろう。
診断が出るまでそれなりに時間がかかるからその間はどうしようもないし、困ったことは個々に対応するしかないが、
白黒が出て、白でも同じ言い訳しか使わないのであれば、即時自分のいない場所に移すように上の立場の人に陳情するだろう。
紛らわしいのが一番迷惑なことである。
自称で障害なんて名乗る時点で既にノーマルではない、変わった扱いを受けても妥当という自白、自供をしていることを認識していただきたい。
こちらはもうどうしようもないから名乗らざるを得ないのに。
誠に遺憾である。