TikTokの所謂バズ動画とか何が面白いか一向に解らないが、本当に解らないのでインストールすらしていない。
時代遅れとか言われそうだがこれでもAIを使って絵を描くローカル環境は構築している。グラボもそれ相応のものを取り揃えて自分で組んだ。
それでも世の中の動画のトレンドとか、本当に何が面白いのかと思って見させられている。
誰かが見ている後ろを通り過ぎるという意味で。
人の隙を突いてスッキリしましたとか復讐しましたとか、後味が悪くて全くスッキリした気分になれず、
憂鬱な気分に陥り、人が信じられなくなり、かえって具合が悪くなるのは自分だけなのだろうか。
VTuberとかも何が何で面白いのか解らないのは多分人とのやりとり自体が苦手からなのだろうと私は思っている。
では自分が何を見ているのかと言ったら家庭菜園のノウハウや経過報告とか、クラシックの演奏とか、
あとは料理とかDIYの工程など人の感情のそんなに関係ないコンテンツである。
事故動画とか間違っても見ない。メーデーだけは見ますが。
何が面白いのかと感じるメンタルが多分普通の人とは異なっているとは昔から漠然と違っているとは思っていたけれど、
まさか障害なんて名前がつくとは学生の頃はちっとも考えていなかった。ズレているのが感覚的な問題だけでなく疾病的な問題である、と。
普段から人が感情のやりとりをしているのをとても面倒に思って見ている人が、動画になっても同じような反応になるのはむしろ当然である。
もう怒号とか聞こえたら「申し訳ありませんがしばらくこのままお待ちください」のテロップと共に静止画像が流れるくらいでいい。
感情のこじれたあれこれの暴力的な行為は私にはセンシティヴなコンテンツに当てはまる。
それをいらすとやの絵とゆっくりの声で淡々と話すとしても同じ事だろう。
人間の黒さが見えるものには極力近寄りたくない、それが甘えだと言われても。
その他、下品な笑い声、民族人種差別、単純に人をけなすような発言や行動をただ繰り返す人のチャンネル、
ちっとも面白いとは思わないが何が面白いのか具体的に説明されても、感情の流れが読めなければ本当に砂を噛むように見ているだけである。
私はただ静かに過ごしたいだけである。動画にしてもメタルバンドの演奏以外の感情がうるさいのは極力避けたい。
静かな環境を構築しても外からぶっ壊されるのではかなわない。私は何のために一人でいるか、と聞かれたら一人が一番落ち着くからとしか言えない。
喧騒なんて本当に外の世界の出来事でいいのです。嗜好の合わないものをいちいち土足で人の心の中に運び込まないでいただきたい。
誠に遺憾である。