地域のニュースで酒が入って暴れただの何か知らんけど殴られただの万引きしただの、
しょうもない事件の話ばかり流れてくるが、多分金がなければ自分ももっとしょうもないことになっていたのだろうと考えると、
身分の安定って大切だね、と思いました。慎ましく暮らしたい、静かに暮らしたいというのは、
先述した喧嘩っ早い人達には一生分かってもらえないことだろう。
できる範囲では人のためにならなければいけないがそう簡単にはいかない。
コミュニケーションの障害が主症状であれば通じる会話も通じなくなる。
文章は書くものだから会話しないからいいが、これが人と話すと全く流暢ではなく、ほとんど何も話せなかったりズレたことを延々と演説し続ける。
理論では解っているが感覚的な、場の空気の変化とかが読めないから結果的に頓珍漢なことを言い出して場が白けてしまう。
人前に出て私が人のために出来ることなんてたかが知れているが、書くことによって普通とはみなされない症状を主観的に記述することはできる。
人を極端に不安や不快にしない限りにおいて、なるべくありのまま思ったままの事をなるべく個人情報に配慮しながら書いて、
ちょっと拗らせるとこういうことになるし、こだわりがあるから結論に共感が得られない、ということも何となく把握していただければ幸いである。
何せ人との協力作業がとても苦手なタイプであって、それで実際に仕事に出て社会のあちこちにぶつかっては心がベコベコになって、
診断が得られるまで特に相談する人もなかったし、ましてや発達障害なんてわからない人の方がきっと多いと思うので、
あくまで個人の一例(あくまで個人の感想)であるが書いておくに越したことはない。
別にベストセラーとか狙っている訳でもないし、発達障害の病状を列挙しただけのがベストセラーになりだしたら世も末だと思うので、
本当に地味に目立たないように行動しなければ、また前に出されて恥をかきかねない。
ペースというのは誰にでもあるものだとは思うが、私から見てペースを合われられる人を探したり本当に行動したりするのは容易ではない。
本当に会話技術なんて人との関わりなので、人との関わりの不全が障害の症状の場合、本当にどう技術を上げれば良いのでしょう。
根本的に空気が読めていないのに。誠に遺憾である。