昨日深圳で刺された子供が今日亡くなったとのニュースが流れてから、
あちこちの自由に発言できるネット上の掲示板とかニュースサイトなどでは誠に遺憾であるどころか怨嗟や感情的な発言の雨霰で行く場所がない。
別に犯人を擁護する意思は全くないし国際法に則って粛々と裁いてくれとは思うが、
それのついでにナショナリズムが沸騰して歯に衣着せない発言が連打されて見るに堪えない。
主に精神的な意味で。
一回でも精神をやられると過激な物言いとか扇動的な発言とか、一言でまとめると怒り、に非常に弱くなる。
人の感情に共感する機能はもともと薄いから発達障害と言われているが、
さすがにこれだけ罵る声が聞こえれば空気が読めなくても尋常なことではないとわかる。
識者は冷静に国際情勢を論じているが、ごく普通の人が集まる場所は過激さを制御できていない。
家族や親戚に中国人がいる場合ならば一体何をどうすればいいのかと思うわけである。
このまま国際問題として持っていかれそうな勢いである。まるで何もかもが正義であるかのように。
どちらの国にもあるわだかまりが事件で急に動き出すことによって、一部が解けることによってどちらの国でも噴き出すものが噴き出す。
中国政府は「個別の事案だ」と言っているが、日本はこれから連鎖反応が起きることを予測し邦人保護に向けて動き出さねばならないだろう。
こちらで愛国主義者が騒ぐのと同じように向こうも騒ぎ出すからである。冷静になったり事件を純粋に悲しむ両側の人を見ないことにして。
そうなるとこれまで起きえないことも簡単に起きる可能性が否定できなくなる。
人が亡くなってしまう。当然悲しい、どんな人であろうとも。大半の人々はそうであるが政治的な話題だとそれを通り越して行く人が後を絶たない。
要人でも暗殺されれば第三次大戦だ。何が始まるんです、と聞くまでもなかろうよ。
そしてその両国の大きなうねりがだんだん大きくなれば私の精神的な具合が一層悪くなる。
愛国的なプロパガンダがどうとか政治的干渉がどうとか理論より先に感情をぶつけ合うようになると、
私のような繊細な人間は愛国者達が愛国的な発言をしようものなら全部「らりるれろ」とでもなってしまえ、などと思うのである。
そう思うから私などまさに厭世主義か隠遁主義なのだろう、という確信を強める。
一言で言えば「やってらんない」だろう。
誠に遺憾である。