解ってくれとは言わないが少数派に進んだ自分が悪いのか | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

今なら学校や音楽教室で音楽を専門的に習うならばバンド活動で扱う楽器も行けるような気もするが、

自分の中では大学まで行ってやる「音楽」というのは大体クラシック音楽の方のイメージだった。

当然やる楽器も管弦楽、ピアノ系の鍵盤楽器、それから声楽、となるから、

私が独学でギターやベースを弾いて今現在のようなバンド活動をするようなことはほとんど想定していなかったことだろう。

聴く音楽はガチのクラシックだけだった頃に比べればデスメタルを聴いたりハードロックを聴いたり柔軟性は上がった(?)ような気もするが、

基本何でクラシックに行ったかなんて現代邦楽、ポップスに対する反感と反逆心しかない。

当然のように一族郎党ほぼ誰もクラシック路線には行ってない。ピアノをやるようになったのも一族では自分の世代からみたいなものである。

当然のように自分が弾きたいというまで家にピアノなんてなかった。まあ声楽方面を主にしてピアノはその後だったから始めたのは遅い方である。

確実にへそ曲がりであり、異端児であり、結果的に発達障害という落とし所が見つかったのでためらいなく落ちた。

当然上の世代がクラシック路線に理解があるわけでもなく、楽器を始めた頃は続かないくせにと文句は言われたし、

今バンドで弾いているGibsonやG&Lのギターやベースの価格帯でもいい顔はされないのに、

学生時代に手頃(手頃ではない)な管弦楽器の値段を話してこれから演奏活動のために習うんですけどと言えば家を追い出されかねないだろう。

不幸か幸いか、自分の専門は声楽方面であるから、多少電子ピアノをこなせれば楽器にはお金がかからない立場だったから助かった。

バイオリンやチェロとかやるとか言い出したら親はどうしていただろうと思うと気が気でない。

しかし大学を出れば、何時の時代でもクラシックの話をしても分かってもらえる人がいない。

ハードオフとかで音源は漁るが、話題の共有が出来ない。そもそも論でクラシックって何と言われるのが関の山である。

ベートーベンとかモーツァルトとかショパンならまだ分かってもらえるかもしれない。確実ではないが。

では少し進んでチャイコフスキーとかラヴェルとかドビュッシーとか分かってもらえるか、から怪しくなっていき、

ワーグナーとかシベリウス、マーラーとかになれば名前すら知らない(音楽はなんとなく覚えているが)ということになり、

そこから先の世界なんて闇だろう。現代音楽なんてまず自分から勧めたりしない。

どうしても聴きたいと言う人がいたのでジョンケージをお見舞いしたことはあったが、そんなのは本当にレアな展開である。

今聴いている音楽は何ですかと聞かれたらイザイの無伴奏バイオリンソナタとかヴュータンのバイオリンソナタなんて言って、

そこから先の話がどうなるかなんて、途切れる以外に起こり得るだろうか。

妥協してもダンディのフランスの山人の歌による交響曲としか言いようがない。それは本当に妥協なのかと私でも思う。

しかしポップスなんてガチで今でも聴いていないからそう答えるしかない。

まあ邦楽でも家ではHRHMかメロコアかヴィジュアル系ばかり聴いているから、結局は話が通じなくなるという意味では似たようなものである。

特に外でハードロックなんて聴いていると周りが聞こえなくなったり、音漏れして騒音になるから、

それならクラシックの方がいいしメタルは時々テンションがブチ切れて躁状態になるから、

冷静になる、社会性の為にはクラシックを処方して服用しなければならない。

問題は先述のように誰にも分かってもらえない世界に沈んで浮かんでこなくなることですが。

妥当な音楽はみんなが聴いているからという意味では自分にはつまらない。しかし話を合わせるためにはそうするしかない。

それが如何に本心に合っていないか、ある時福祉施設でバンドの出し物をするための選曲がガチのアイドルグループの歌謡曲になった途端に、

私のベースの音が狂い始めたり音が歪んでいたり、何なら本人が苦虫をかみつぶしたような顔で弾いていると称されるので間違いない。

ベースの方に興味がなければ今頃福祉施設のバンドの中で何故か管楽器を振り回しでもしていたころだろう。

誰にもクラシックの話を振らないし、振ってくれる人もいないし、繋がっていないというのはまさにこのようなことである。

かといって存在自体が時に怪しいくらい趣味の話が通じなくなれば、比べる人もいないし、話がそもそも噛み合わないから、

一般的な障害者の界隈でももう少しポップス以外の音楽の造詣に深い人々が来ないのだろう、と思うようになります。

誠に遺憾である。