何かしらインパクトの大きい事件が起きると、何かと不毛なことを言いあう人が勝手に増えてくるので憂鬱になる。
今だとトランプ大統領候補が狙撃されて怪我で済んだことに対してあったことにあれこれなかったことを付け加えられて、
なんか陰謀論とかオカルトめいた文章の塊で頭を殴打されているような感覚を味わう。
Xに行けば本当に腐るほどそういう類の文章が転がっているので、見る方のメンタルヘルスをケアしなければいけなくなる。
一体私が何をしたというのか。
そういう時はなんかそれっぽいゲームのお勧めでもしておけばいいのです。
あんまり余計なことをしてはいけない。
ボディガードとかシークレットサービスとか身を張る仕事って本当に大変ですねと思いました。
別に関係ないですが何で奈良県警の警備はあんなにザルだったんでしょう。
何かに集中しているときというのは実に隙が生まれやすいもので、
演説中以外でも食事中、トイレに行っている最中、防具のない入浴時、それから就寝時、などなど、
暗殺というのは時と場所を選ばない。選んでいたらやっていられないとも言う。
一番効果的なのは今回のように衆人環視の中で狙撃されるようなパターンですが。
台本の中に銃弾を一個混ぜるだけで大惨事になるじゃないですか、というのは日本もちょっと前に通った道である。
別に銃弾がなければ、石とか弓矢とかなんか投げて頭に当たったり爆発したり何処かに刺さったら死にそうなものを投げつければいいのです。
大体そんな不埒な奴はいませんが、今回いなかったからといって次回からもいないとは限らないのが暗殺の難しいところである。
散歩してやられたり、打ち合わせをしている最中にやられたり、くつろいでいる時にやられたりもするから、
ボディーガードは二四時間態勢だし、投げられるブツも進化しているから、鎖かたびらだの防弾チョッキだのその他もろもろの盾など、
何事も起きてはならないから何もかもが臨戦態勢で、重装備になってしまうのである。
そしてついでに暗殺が成功したり未遂に終わったとしても「よくやった」とか「あいつに(弾が)当たってればよかったのに」等々、
不謹慎なことを言い出す人の近くには寄りたくない。何も起きていないことの何がいけないのか。
狙撃犯を無駄に讃えることもしないで、名前だけ淡々と出して、淡々と処理して、狙撃犯の人生の影も形もなかった扱いにすればいい。
この国では狙撃した奴を持て囃したり、国の暗部に穴を開けたような扱いがされるような時があるのをXで稀に目にするが、
何も言わなければ狙撃したという事実だけしか残らないのに、尾びれをつけたがる人がよってたかって色んなラベルを貼り付けて帰っていくから、
勝手に持ち上げられたり、勝手に英雄扱いにされたり、勝手に何かの話の折に勝手に話題に出てきて、忘れようにも忘れさせてくれない。
そんな極悪人を崇め奉らねば生きていけないとでも言うのでしょうか。
誠に遺憾である。