私が人を寄せつけないのは私が気性難と神経質を兼ねているからだと思う。世間的には自閉症スペクトラムという症状です。
そりゃ出来るなら可能な限り自分の望むような環境を作りたいと思うじゃないですか。人だって何人かいればいいに越したことはありません。
しかし生活スタイルというか文化が大勢の人ととにかく合わないので人の間にいる方が傷つく。
例えば自分が嫌がるのは、毎日酒を飲んで騒ぐ、タバコや香水他強い臭いがある、話がうるさいしなんかしつこい、と枚挙に暇がない。
五感的に静かに生きられないのか、と毎日心の中で愚痴をこぼすわけである。海の底の貝みたいな生活でいい人間は何も救われない。
そして一番きついのは、文化が合わないことである。大衆的、通俗的なものを嫌っていれば孤立するなんて火を見るより明らかである。
だがそこを妥協すると私が私でなくなる。アイデンティティの喪失、という奴である。
周囲で誰か文学を嗜んでいるとかなかったし、俳句や短歌なんて自分しか詠まないから比べようにも比べられないしライバルもいない。
自分の障害が人を巻き込むことが恐ろしいから普通の結社には参加しない。出来ないと言った方がいいのかもしれない。
音楽の好みはクラシックとロックとメタルである。邦楽のポップスとか蹴飛ばしながら進んでいる。
ゲームの話をしようにも推理ゲームとかの話は誰もしないし、何ならまわりでsteamでゲームを買っているのは自分しかいない。
ゲームをお勧めしようにも相手はいないし反応も何もないのでどうしようもない。
そして哲学とか倫理学とか宗教学とかは自分が何を話してもチンプンカンプンなことになるし、そもそも宗教の話題そのものが施設で禁止されている。
一体どうやって話題を合わせろと。
大衆の好みと何ら合致していないのに、どうやって話題を進めたらいいのだろうと途方に暮れる。
話がお互い噛み合っていないのに無理矢理進めてもお互い首を傾げながら話を聞き流すだけである。なんと不毛な時間だろうか。
そんな訳で勝手に孤立したり、勝手に独自の世界に入ったまま帰ってこれなくなったり、訳のわからんことをしていると人に言われるのである。
哲学を追求するならニーチェみたいに田舎にこもったりルソーのように孤独にならないと出来ないものであるから好都合といえばそうかもしれない。
ただあまりにも交流が無いとそれはそれで空気が澱んだり腐ったりしてしまうのである。人という空気の入れ替えはしないといけない。
しかしその人がタイタニック号にぶつかる氷山のような存在であり、その他大勢が氷山の一角の下に潜んでいるとしたら、
私は必死に避けなければならないし、ぶつかったら精神的な危機に陥るから油断している暇もなく絶え間なく来る氷山を避け続けなければいけない。
陸はなかなか見えてこないのである。誠に遺憾である。