資本主義が完全に正しいなどとは誰も思わないし誤りのない政治形態なんて無い。
独裁制とて肝心の独裁者にカリスマがあったり実務的な能力が高い水準であった場合、独裁を保つための犠牲はあっても政治情勢は安定する。
しかしそれだけで政権は維持できない。後ろ盾は必要だがあまり大きすぎるのも困る。
実際鎌倉幕府などは将軍の実権が初代で燃え尽きて、二代目から雲行きが怪しくなり、
あとはなんか血筋があるから三代まで何とか続きましたけれど北条家の勢いはどうにもなりませんでした、
たとえ源実朝に政治家の才能があったとしてもひっくり返すのは難しかっただろう。詩歌の才能は確実にあっただけに惜しいことである。
ソ連もレーニンからスターリンに繋げて、最終的にゴルバチョフとエリツィンでストップしたので、一党支配を続けるのは実際容易ではない。
北朝鮮とかは世界を閉じて外と繋がる場所を選んで塞いでいるから、外の流れから孤立しても今のところ何とかなっている。
かといって自由であればいい、という話でもなく、油断したらヒトラーみたいなのが出てくるし、
なんか一党が事実上寡占状態になって空気が澱んだが、かといって打開策を立てる代わりの政党もない、むしろ野党の方がなんか心許ないと、
政治ってもう何なんでしょうね、かといって無政府主義にするわけにもいかないし、
どの手をうっても万遍なく悪いとかどうしたらいいんでしょうね。
そういう不安と不確定性が高い時にこそ、極端なお話を唐突に始めたがる人に気をつけなければいけない。
特に政治で今やっていることを全部逆張りし始めるような発言は注意しなければならない。注視どころの騒ぎではない。環視が必要である。
政治に無力感を抱き、無関心になればなるほど耳目によさそうな事を、甘い言葉をかける候補者というのは後を絶たない。
なんなら勝手に湧き出してくる。逆境はチャンスだからである。今まで一蹴されたこともなんか蹴り出されないようになったら、
許可を得たと思いこんで湧き出してくる。何か新しいことを言っている、という前置きとともに。
今までと何ら変わりの無い逆張りを手を変え品を変え言葉巧みに言い換えているだけであるが、
政治に関心がなければ過去のことについて必ずしも覚えているとは限らないから、新しく聞こえてしまう。
そういう所に人はつけこむのである。そうして、話が進められて、持ち出されたのがマルクス主義とかだったら私はその場でこけるかもしれない。
もっとアレな、アナーキズムとか空想的社会主義とかならそっと卒倒するだろう。今更そんなことを言われなければならないのか、と思いながら。
その極致が私には何ら関係ない東京都の知事の選挙である。あくまで自分は外野であるが、社会の縮図的な意味で見届けなければならない。
あくまでも外野なので直接何も出来ることはないから。
閉塞した時にこそ、旧態依然な封建主義、独裁主義、意味不明な文言を無責任にぐうたらに述べ散らかす人間、
それらを静かに御退場させることだけは忘れてはならない。選挙、投票なんて本来は娯楽でも何でもない政治行為である。
勝手な事を言い出す奴が急に権力を持ち出したら、なんて考えると不安でたまらない。誠に遺憾である。