私にはブランド品の服とか靴とかバッグとかアクセサリーとか猫に小判みたいなものだと思っている。
何ならブランドのメーカーすら知らない。ギリギリでLOUIS VUITTONとか高知(わざと)とかdunhillとか知っている程度である。
そんな名前しか知らないのに何かを丹精込めてお出しされても、私にはどう使えばいいのかわからないから迂闊に買えないし使えない。
私が出没するのは大半が福祉施設とか作業所とか要するに偏見でなくても大半がお金とか縁のなさそうな人が通う場所ばかりである。
馬子にも衣装とはいうが、場にそぐわない服を着ても気取り屋か、と思われるかもしれないし、まず浮くだろう。理由なく恨まれるかもしれない。
それか畑に出たり草刈りをしたり除雪をしたり、水や土汚れ前提の作業を黙々とこなすだけである。汚れるのが前提な場所にブランド品はそぐわない。
そういう場所に金目のものを身につけていくなんてまさに身の程知らずである。
要するにTPOに沿った身なりをしましょう、という一言に尽きるが、ならばブランド品は一層要らないしつけるべき場所がない。
フォーマルな場に出るような生活をしていないのにフォーマルなブランド品を買って正直何のためになる、
というか生活スタイルにフォーマルな場が組み込まれるという意識をしていない。特に外に行く理由が見つからないので自室から出ない。
知り合いとか友人関係もほぼないので冠婚葬祭の儀式に出るようなタイミングすらない。着る場がない服ほど虚しいものはない。
役目がない、果たせない、ということであるから、それならリサイクルショップに売って、最低限の値段のスーツでも買って吊しておいた方がよい。
家に帰ったら帰ったでそのまま農具セットを担いで家庭菜園に出かけるのでブランド品のスーツや靴はグダグダになってしまう。
ジーベックがブランドだと言えばブランドだと私は思います。私にはそちらの服のほうがずっと楽に着られるし、あらゆる用途に使えるので。
汚れるのもファッションなんですよ。何なら音楽もメタルとパンクとグランジに傾倒しているので、
何なら敢えてボロボロの服を着てパンク精神、グランジ精神を全うするだろう。拝金主義はくそ食らえである。
クラシックの時だけちゃんとドレスコードには従いますし、かっちり着込んでいくが、家に帰ると普段の数倍の疲れがドッと襲ってくるだろう。
ファッションが「着られるなら大体何でもいい、金はかけない」というポリシーで生きていると、不必要なブランド品を持つだけで不安になる。
そんな奴が「この服や靴が合わない」とか言い出すのは、虫に食われたり穴があいたり意図しない方向に切れたり、
着たら公衆わいせつに該当する場所が破れたりしたからである。さすがに道を歩くだけで逮捕されるのは割に合わない。
逆に言えば致命的な意味で破壊破損しなければ、特に服飾品は一切買い替える意思がない、ということでもある。
そんな奴が本格的に高級な服を見て何を思うのでしょう。きっと「これは服である」という意味以外付け足さない。
それより多くのことを考えれば逆に服に着られる。服に振り回されて本当に疲弊する。
最低限どうでもいい服を着て、畑やオフロードを無事に歩ける程度の靴を履き、
家庭菜園の土に汚れたり、適度な運動をしたり、適宜買い物に出掛けたりする。
生活スタイルにブランド品を組み込めない生活をしていればブランド品が不釣り合いだということは瞬時に把握できるでしょう。
何も把握していなければ文字通り宝の持ち腐れである、なんならブランド品が宝という意識すらしていない。
それが理解できないでブランド品に着られるなら本当に誰かに笑われて、己は泣いたり笑ったり出来なくされるだろう。
誠に遺憾である。