「人の嫌がることはしない」と世の中はいう。
人の嫌がることなんてとても分からないから、とりあえず自分がされて嫌なことを人にしないようにと考える。
そうすると、人にお節介をかけるということをまず自発的にしなくなる。私の嫌がることというのは、だいたいお節介をかけられることである。
人のことに勝手に手を出したり出されたりして相手の気に障ったことも実際一度や二度ではない。何故人は一人で放置されることを許されないのか。
別に効率が悪いとか、人からすれば何してるのかさっぱり理解できないことをしている、その不合理を楽しむことも許されないのか。
私から何も咎める権利も義務も何もかも有さないので私は何も言わない。別に勝手に何かをして何処かに行けばいい。私が口を挟む権利はない。
何故人に口出ししないのに私には口出しされなければならないのか、と考えると世の中は本当に不公平だと感じるわけである。
何故人に口出しをしないかと言われて前述の理由以外何かあるとするならば、人間関係自体が面倒というか厄介なものに見えるからである。
私如きが手を触れるのも口を出すのもまかり成らぬという雰囲気すら感じる。静かに暮らすとは本当に静かに暮らすことである。
誰にも邪魔されず、一人で静かに、豊かに、周りの生活音や騒音もなるべく少なく、人の声なんて聞こえないような場所でじっとしていたい。
そうしなければ心の解放なんてあり得ないからである。一人暮らしをしていた頃は誰の家にも行かなければ誰かを呼んだこともほとんどない。
そしてそれに対して違和感とか、劣等感とかコンプレックスもなかったし、何なら一人が本当に平和だと思っていた。
それが人と暮らせば動線は被るし、人に口出しされるし、されなくても視線を感じたりすれば精神は不安定になる。
何もないですね。何もかもないですね。本当に一人ですね。とでも思えない限りは私の心が安らぐことはない。
口出しされるのは本当に嫌なので人に口出しはしない。その人がその事で命を落とすようなことをしない限りは私など何もすることはない。
些細なことでもそうでなくても勝手に人のこと、人のプライバシーに踏み込むことの恐れや慄きは常に抱いてないといけない。
誠に遺憾である。