続・昨年その辺で拾った種と球根縛りの家庭菜園 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

何か思ったより隙間が空いてしまったので、ちょっと出かけた先の野原に無造作に生えている野生のネギ(多分浅葱)を一塊、球根ごと引っこ抜いて、

自宅に持ち帰り、畝を適当に作ってざっくりと埋めました。

なお壮絶にネギの球根が余ったので、プランターを持ち出して来てそちらにも二列程度並べておきました。

よし、今回も無料で栽培できました。もう意地だけでやっているので美味しい野菜とか一切関係ありません。

無料のそこら辺に生えている物と昨年植えた植物の種だけでどこまで戦えるかを一人で気楽に続けております。

一応金がかかっているのは正月に食べようとして買った百合根だけである。今はもう葉っぱがぼうぼうになって庭に埋まっていますが。

紫蘇とか韮とかその辺を歩いて採取してきて、適当に埋めて適当に育てると後で収拾がつかなくなる、と聞いているので、

ホームセンターで買って植えるような苗よりも細心の注意を払わなければいけない。

その辺に普通にぼうぼうになって生えている紫蘇とか韮とか、もう雑草と大差ない程度に繁殖しているので、

それがどういう意味なのかをちゃんと考慮した上で家庭菜園を管理運営していかなければならない。

今回新しく植えた多分浅葱と思われるネギの苗も、その辺の野原に雑に繁栄していて、誰も手をつけたりしないから実に生え放題である。

むしろ茎が密集しすぎて葉っぱも増えない、根本から根が絡まり合い栄養の取り合いをしているような状態であった。

勝手に密集するまで増えるのをバラして植えてしまったのだからある程度は庭がネギまみれになる事を覚悟しないといけない。

なお昨年採取した紫蘇の種ですがしつこいくらい水に浸して植えてからもしつこく霧吹きで水を朝晩噴射して、

ようやくある程度まとまった数の芽が生えて来ました。場所によっては紫蘇を直植えしたら手がつけられなくなる、

初心者は地面ではなく鉢やプランターで栽培して土に種が撒かれないように気をつけるべき、と言われているが、

発芽率を考えたら俄には信じがたい話ではある。まあ誰かの植え残しが野原で無事繁殖して大量の種を残すのだから強い事には違いはないのですが。

というわけで今年のラインナップがほぼ確定した訳であるが、唐辛子、韮、浅葱、紫蘇、アスパラとトマト(なんかダメっぽい)

残りは百合根の破片から育てた球根と鬼百合のムカゴとか「どんな判断だ」と言われる事だろう。

よく考えてみよう。アスパラとか百合とか食べられるまで数年かかる。もしかしたら途中で枯れたりするかもしれない。

というか五月頭で実際ダメになりつつあるのが結構見かけられるから、全部生き延びさせるなんて甘い考えは抱かない方がいい。

韮はいくら頑丈でも種から育てた茎なんてモヤシより細いし、一年は球根を育てなければならないから食えない。

ぶっちゃけ今年まともに食えそうなのは唐辛子と浅葱の新しく生えてきた茎ぐらいである。本当にどんな判断だ。

北斗の拳の老人なら「今日よりも明日なんじゃ」ときっと言い張るだろうが、その隣で家族は今年もジャガイモを植えはじめた。

ぶっちゃけ一人暮らしをして実家に帰省した頃も毎年ジャガイモが目に余る程植えられていたので、毎年恒例なのだろう。

でも毎年毎回芋を植えたら面白いのかと聞かれたら私なら生きるためであって面白くも何ともない、と答えるだろう。

そして実際嫌気がさした結果、何か変なスイッチが入って今年のラインナップが昨年末に考案されて、無事実行、決行されたわけである。

何か変わったものを植えて暴れ回るのを見てみたいとか思わないのだろうか。多分一般人はそんな事を思わないから同じ物を植えるのだろう。

何と私の無軌道であることか。誠に遺憾である。


なお肥料はマグァンプを今年から使い始めました。種に金がかかってないし何なら種の品質も何も保証されていない文字通り野生の種が大半なので、

肥料くらいちゃんとしたものを使いたいと考えた結果がマグァンプである。

結局肥料に金かかってるじゃないですか。やっぱり誠に遺憾である。