このブログの文章は生成AIにぶん投げてはいません | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

今やそれっぽい文章、レポートを仕上げるにはChatGPTにお題をぶん投げればいい。

あとはそれっぽい生成された文書を提出して何食わぬ顔をすればいい。

何と嘆かわしい世の中だ、と言っても試験を行う側も等しく生成AIに適応しなければならない。

何なら課題を出す人もChatGPTを使ってどういう文章を生成する癖があるかとか、あるいはファクトチェックを欠かさないとか、

AIについて誰もが調べて対策を検討していく時代が求められているのかもしれない。

必要なのはレポートを提出することではなく、レポートを書くために情報収集をしたり、集めた情報を取捨選択したり、

起承転結をしっかりした形でまとめ上げることであり、それらの思考活動の結果として提出物が出来上がるわけである。

ChatGPT他文章を書くAIに任せるということは、その調査なり情報をまとめる作業を一切行わずに、出来合いのそれっぽい文を出すだけである。

極論何も考えていない、という事になる。今目の前の課題は乗り切ることが出来るが、いずれ長期的に見れば大損である。

AIなんてない、ネットを切られた緊急事態とかが発生したらどうするのか。災害、特に地震とか。

臨機応変に対応しなければならない場面とかAIが全部対応できるとは思わない。

何ならAIが本当に正しい事を言っているかも確かめられないのに、何ができるのか。

とある学校の課題で同じ間違いを一定の人数がしたのでこれはどういうことかと教師が調べたら、間違った答えを書いた人は全員AIに書かせてました、

みたいな笑えない話が実話で出てくるような時代である。試験会場にスマホなんて持ち込みさせない、くらいの工場並の監視技術が求められるだろう。

ちょっと知識があればAIを活用できるのにしないさせないというのであればそれはそれで時代錯誤的な考え方である。

自分の頭の中で考えた成果が求められる場所にAIを持ち込んでやったフリをしないで下さい、というだけの話である。

公正さ、公平さが求められる場所(学校の試験とか論文とか)に持ち込んで自分を高く見せようとしないで下さい、

何なら昔から電卓とかで通った道であるし、カンニングの手段や方法なんて試験の解答技術より下手に発展している。

その時間勉強した方がよくない?と傍目から見て思う程度には。今はそれがChatGPTを筆頭に、AIに置き換わっただけの話である。

いや、本当にメディアリテラシーって大事ですね。

AIは宿題代行業者でも何でもない。まあ業者(人間)に頼むより手間も人件費もかからないから楽と言えば楽なんですけどね。

その代償として人間として何を失うのか、これから何が身に付かなくなるかを自分の頭で考える必要があるだろう。

誠に遺憾である。