春という棘に対して大したことのないものをぶつける | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

春は別れと出会いの季節ですね、と特に辞令などというものはない作業所暮らしの人間は言う。

新しい人間は不安と混乱と騒乱の塊です。

別にこの時期でなくても不意にぶち込まれる、私以上に空気の読めない人間を、同じ空間に放り込まれて変に絡まれる度にそう思っている。

まだ自分はちゃんと(?)文章が書けるだけ、人と話さない限り平穏としていられるから、他の発達障害とか自閉症スペクトラムの人と比べれば、

確実に空気は読めないし訳の分からない行動はするけれども規則を無視するよりはまだマシなんじゃないと勝手に思っている。

普通の人からすれば五十歩百歩、大した変わりがなく変なものは変、と言い切られるでしょうが。

まだ一人で放置される権利と許可があるだけいいのではないか、と思います。

自閉症スペクトラムも重くなれば刺激に対する反応が激しくなり、またこれはこうでなければいけないという拘りも強くなるから、

少し思うところから離れると、癇癪やパニックを起こして物を壊したり、人に危害を加えたりする。

これでネットを使える環境下にいる場合だとネット上で癇癪を起こしてプライバシーを暴露したり人を誹謗中傷したり、

ついでにグロい画像を衆人環視のSNSとかに普通にぶち込んだりするからさっさと訴えられて刑務所かネット環境を取り上げてしまえと言われる。

そりゃ当然だろう。人の嫌がることを進んでしましょう、と言われて本当に人の嫌がることを進んでしていればむしろ当たり前だと言える。

色々暴れ回れば、施設や人の監視下に置かれたり行動に制約が加わったり、最悪牢の中に入るか墓の下に入る。当然と言えば当然である。


障害者に囲まれた環境、というのは医療看護福祉の観点から言えば管理しやすく平和(普通の人の中に紛れ込ませるよりという意味で)だが、

当事者としては一人増えるたびに何か心理的なタガが外れていたらどうしようと気になって仕方がないわけである。

特に自分の障害(自閉症スペクトラム)というのは環境や人間の変化に対して脆いので、

精神的に、心理的に爆弾を抱えながら生きているようなものである。誘爆だけは何としても避けたい。

自分が避けようとするならば一切関わらないか違う空間か世界にいるものだとして扱うしかないが、向こう側からすればそうでもない。

話しをする、と思えば話しかけてくるし、自分の拘りと合致しなければ当然暴力や中傷の対象にされてしまうわけである。

何処かにある心の起爆スイッチを、自分の壊れた心で探り当てないといけないから、何かと疲れるしとにかく不毛である。

他人の暴れたとばっちりとか何か投げられた石が当たるとか、別に健常者でも勘弁してくれと思うのが当然だろうと思うが、

実際、本当に勘弁していただきたい。

私は普通の教育を受けている間は障害に全然気付かれず、社会人になって全部判明して上から落ちてきた側の人間であるために、

幼少時から養護学校だったり精神病院に入院したり色々メンタルに抱えて学校に行けないで、

下から叩き上げで作業所に上がって来る人の気持ちは全く分からないが、

何でもいいから人にだけは当たらないでくれと祈りながら過ごしている。

誠に遺憾である。