昔の事なので大体忘れてしまったが、私の偏差値社会科だけ70超えるんですよね。
数学とか概数が入ってくるとどの科目でも50を切りますが。数学さえ絡まなければ50後半から60ギリギリ程度の平均値が保てます。
数学があるので台無しになりますが。三角関数とか指数対数とか微分積分とかそもそも数学の成績が酷すぎて数学Ⅲに強制的に進めなくなる、
今で言えばド文系、という奴です。
数学1Aで赤点寸前まで落ち込んで、2Bで完膚なきまでに赤点になることもあり、
補習、補講は日常茶飯事、数学の問題に何が書いてあるかわからないので解答欄は真っ白、
全く同じ人間が社会科のテストは10分前後あれば全問終わらせて問題文に講釈を書き込んで平然としているのです。
お前どんだけ暗記に能力全振りしているのか、と言われても仕方ないくらいの全振りです。
今でも数式を見たら頭痛がします。半分はトラウマみたいなものですが。
教科書に書いてあることをそのまま暗記してそのまま(展開とかは一切しないで)書き写す事に関しては屈指の性能を誇っていました。
計算させると途端にダメになりますが。学習障害とは言われないものの概数はほぼ全く扱えません。扱えないので何を言っているかもわかりません。
全く同じ人間が高校で論語を読んだり原始仏教にハマったりしまいには老荘思想や韓非子や実存主義に入り込んで帰ってこなくなるので、
何が学習の幸せなのかなんてサッパリ私にはわからないのです。得意な事だけを伸ばせればいいのに、数学なんてクソ食らえである。
成績が科目によって非常にムラのあるヤツには平均した成績なんてものは求められません。ある時は頂上を見せて、ある時は地の底を見せる。
ずっと頂上の澄んだ空気を吸っていたいと思うのは当然ではなかろうか。
ちなみに学校で社会科を極めた後は、歴史オタクというかミリオタというか、思想に関してはあれこれ雑に吸収する程度のオタクになりました。
偏差値が60超えていればオタクなんていなくなる、なんて嘘ですね。むしろ限界を超えたからオタクになってしまうのです。
あと、60超えれば人はマトモになるとか煽る人が言ってたような気がしますが、発達障害者は別に偏差値に関わらず存在します。
知的障害=発達障害ではありません。というか混在しているので自閉症から自閉症スペクトラム(知的障害の有無は関係なし)へと呼称が変更されて、
それまでの自閉症は知的障害がある、という概念なのでそちらも古典自閉症という名称になりました。
そして古典自閉症は自閉症スペクトラムの中に含まれる一つの形、になりました。
私のように知的には障害がなくても、発達障害を含む人々は把握、定義されなかっただけで、確実に存在していたのが把握されるようになって、
アスペルガー症候群とか高機能自閉症とか広汎性発達障害とかバラバラになっていたのもまとめて自閉症スペクトラムと呼ばれることになりました。
そんなこんなで私は普通の高校と大学には普通に入試で入りましたが間違いなく発達障害者です。
実際科目限定ですが私の偏差値も60以上ありましたし。発達障害の判定のために社会人の時に知能検査をしたらIQとか120台になりましたし。
偏差値が高ければ、頭が良ければまとも、なんてスティーブ・ジョブズの言行録を少し読めば、幻想だなんて直ぐにわかる事だと思います。
偏差値が高ければ人格も高いなんて本当に幻想に過ぎません。世の中には勉強「しか」出来ない人もきっといるのです。
誠に遺憾である。