最近何でも英語に略して言えば許されるような感じになっているのに何とも分からない感覚がある。
感覚とか感情のなんか敏感な人に「HSP」という病名でもない何かが当て振られるようになって、
「自分はHSPですから」とか言われても何かお前配慮しろという暗黙の了解みたいなのが出来て憂鬱になる。
「自分はASDですから」なんて言わないし言う気持ちもない。それは「私は障害者です」と公言している事に何ら変わりはないから。
HSPというのを敏感でセンシティブであるが障害者ではないとかいう言い訳に使われるのであればなんと不毛であろうか。
他者に過剰と言わせるほどの影響を与えてしまえば別に障害者でなくても障害者と同じようなものであるだろうと思う。
別に手当も配当も障害者を雇った補助とかないのに障害者でもない人を障害があるかのように配慮しなければならないとか、
障害ではないという名前の障害ではなかろうか、と禅問答でも繰り返しているような気分になる。
もうHSPなんてプログラムの一種ですよ、と切り捨てられるなら切り捨てたくなる。私はASDだから。
英語キーボードでASDなんて打とうとしたら間違ってassとかミスタッチして大変な事になりそうなので迂闊に打ち間違えられない。
冗談にもなりもしない悪質な勘違いがとんだ蔑称になるともう救われる気がしない。
別に好きでASDなんてやっているわけではないですよ。背負ってしまったからどうしようもなく名乗らざるを得ない場面があるだけです。
HSPなんて積極的に言い訳に使うなんてなんて気楽な身分なんでしょうね、と愚痴でもこぼしたくなるような気分になる時もある。
ASDなんて言い訳に使おうにも生活していれば勝手に出てくるから気分が悪くなって、
使いたくも話したくもない、それこそ敏感になりすぎて完全に隠してしまいたくなる。
誠に遺憾である。