私は基本的に他人とそんなに話をしたいとは思わないが、それでも本当に死んでも乗りたくない話とまあまあ妥協してもいい話が混在している。
極端に言えばどうしても触れたくない話題にさえ触れなければいい。そこさえ逸らす事が出来れば一応精神的にはまだ何とかなる。
私にはお金の話とか近所の誰かの人間関係とかいう話が一番禁忌である。
儲かる、増やす、利益、利潤、というお金的な単語に直感的嫌悪を感じる人間としては、
お金に関する愚痴とか他所でやってくれと苦虫を噛み潰したような顔を隠す事が出来なくなるだろう。顔色も悪くなるかもしれない。
お金なんて飯を買って死なない程度に生きられるぐらいあればいいのです。残りは生活のインフラを維持できる程度にあればいい。
それ以上は他所からぶんどって来たものだろうと思っている。
人間関係の話は、別に誰にも興味がないから、誰の悪口とか褒めるとか聞いても本当に時間の無駄だから特に聞きたくない。
話をしてヒートアップして、語気に感情がこもり始めるともういい加減にしてくれと思う。知っている人でも特に知らない人でも関係ない。
人間関係なんてプライベートな自分の問題であるから自力以外に何が解決するだろう。
事件でも起これば公的機関に通報して、然るべき対応と損害賠償を求めなければならないが、
別にそこまで行ってないのにあれがこうした、これがそうした、などと知らない他人の話をされても、ああ、そうですか、としか返せない。
きっと協調性や社会性があればもっといい返しが浮かんだり、共感して、協調して話をして問題解決をするのだろうが、
私の障害に欠けているのが協調性と社会性と、それからコミュニケーション能力そのものである。
知らん他人の話をされてもフリーズして虚空を見つめるしかない。話題を広げる事も、深く聞き出すことも出来ない。
深く聞く事が精神的に苦痛だからである。人間関係はなるべく少なく、と思う人間に人間の話なんてするべきだと思うだろうか。
もう表層的な、儀礼だけの挨拶を交わして、あとは仕事で何かあればそれに限って話をして、プライベートは関わらない。
私にとって人間関係とはそういう事であるから、他人の話を聞く精神的余裕もない。
そういう意味では聞かない、というより聞けないと表現した方が正しいかもしれない。
とにかく人間関係は不毛である。誠に遺憾である。