最近デカい芸能人のスキャンダルがあったり、色々なところで色々な形でのイジメがあったり、その結果、人が命を断つ結果になったり、
拳を振り上げたくなるほどに憤る出来事がある、ということもわかっている。
それをマスコミが報道、ニュースで流したりして、火の粉が更に炎上するかのようにひたすら煽り続ける。
それを見て私は本当に疲れる。スキャンダルとか率直に言えばその場にいた人間が当事者で、一般市民は檻の外で怒号をあげながら、
たまに何か得体の知れないものを中にぶん投げたり誹謗中傷の怪文章を送りつけたりする。
だが部外者はいつまで経っても部外者であり、関係者ではないので踏み込んだ話の中に入って細かい事を知る事は出来ない。
あとは得体の知れないインフルエンサーがなんか言っているのを鵜呑みにしたり、XなどのSNSで流れる真偽不明のスクープとか噂話を振りまいて、
決起を呼びかける予告とかで他人を集めようとして、他にすることはないのか、人生疲れ果てないのですか、と思うことばかりやっている。
ビラを撒いたりなんか根拠のないことで悪評を広げようとしたり、実際にデモや電話やネット上での行動に出て実際に何か破壊でもされたら、
それはこの間死んだ反日組織のメンバーが指名手配になった原因の行動と大差はないだろう。実際に人や物に被害が出てからでは遅い。
昔は手紙なんて簡単に届かないし検査方法も確立していなかったので隠蔽して剃刀とか爆弾とか白い粉か危険物を送りつける事をした。
今は言葉なんて瞬時にぶつけられるようになったので、わざわざ危険なものを届けなくても剣よりも強いペンを過去の数倍のペースでお届けできる。
その威力はあまりに大きく、誹謗中傷を繰り返された芸能人は命を絶ったし、あるいは今いる場所からの退場を余儀なくされた。
ところで、当事者でしか進まない話をして人を煽るマスメディアも基本的に同罪になりうるわけで、人を静かに、安静にさせて、
落ち着いた状態で当事者同士で話をしたり、まとめて整理する時間を与えたり、そういうゆとりをもたせる時間を与えようともしないマスメディアとは、
本当に公の報道機関を名乗っていいのだろうかと首を傾げる時もある。
火に油を注いで、燻ったらもう一回燃料を投入して火が尽きないようにするから、外野の不穏な声がますます大きくなっていく。
当事者の意思や方針と関係なく。
どれだけ続報が届けられたり内部告発があったとしても、外野はあくまで外野でしかない。俺たちも怒っていると突っ込んでもごく当たり前に弾き返されて帰らなければならない。
何の関係のない他人の怒りを聞いて、当事者に何の意味があるのか小一時間問いただしたくなる、
ぶっちゃけそれあなたの生活や家庭に何の関係があるのですかと。
SNSには当事者の、あるいは当事者と繋がりのある人の発言があって、部外者はそこから何かを得て考え、無闇に動かないことが肝要である。
部外者に何の権利があるとお思いですか。抗議のメールだって手段と方法を間違えれば犯罪予告だったり脅迫文になる。
事実を覆す裏付けのある決定的なリークや情報でもない限り単なる言葉の羅列である。
言葉は世の中には実に腐る程度にならんでいる。怒りを感じるような言葉ももちろんあるだろう。
しかしその大半は自分の生活、血縁関係にすら何ら関係のない噂話の類にすぎない。
本当に利害関係が一致して、明確な損得があるのならば少しは割り込んでもいいが、
縁もゆかりもない文字通り赤の他人がいきなり割り込んでも部外者の扱いを受けるだけである。
どこにニュースの登場人物に勝手に石礫を投げてもいいなんて許可が転がっているだろうか。
石礫をぶつけたら事件になって自分もついでに逮捕されるという想像には及ばないのだろうか。
そんな事をしている間にもアフリカでは一分に六十秒が経過しているのである。
誠に遺憾である。