発達障害だから細かい事にうるさい、ややこしいという先入観は一旦置いておいて、
私は静かな空間でないと食事の場には適さないだろうと思っている。そういう環境を求める、という点で実にうるさい。
何があったか知らないが食事中にうるさいのは他所に行ってくれないかと出くわすたびに思っている。
もし私が急にうるさくなったとすれば、そういううるさい客とかマナーの悪い客に精神の平衡を乱されて堪忍袋の尾が切れたからという事になる。
私は静かな環境でないと過ごせない人間なので、人の出す騒音、咀嚼音、食器のガタガタ鳴る運び方、そのどれもに弱い。
ついでに香水の臭いのうるさいのとか、食事をそっちのけにしてお構いなしに何でもかんでも話しかける人間とか、
食事が不味くなるくらいプライベートの際どい話とか、人や社会の悪評とかを振り撒く人間とか、
食事よりも私を見ろと言わんばかりの豪華な、食事で汚れることを想定しない服を着て来るとか、
食事の時のルールやマナーがなっていない人といるのが本当に苦痛である。
色々な意味で五感にやかましい人間と食事をする度に私は疲れ果てて帰って来る。家でカップラーメンでも食べていた方が何倍も救われる。
なら外食するな、と言われそうだが、別に自分でそんなうるさい空間に積極的に、自発的に飛び込むわけではない。
居酒屋とか親戚の会合とかで組まれる場に身分上仕方がないので突っ込まれているだけである。
そうでもされなければ自分では居酒屋なんて行かない。一人で自発的に行くのはラーメン屋か空いてる時間のファミレス、回転寿司くらいである。
ラーメン屋とか定食屋とかが騒がしければ運が悪いと思うしかない。
そんな客層呼んで大丈夫ですか、と思うと同時に自分の置かれた環境を呪わざるを得ない。
別に上級国民だったり育ちが良かったり、そういう階級的なものに関係なく、いつでも静かな環境で過ごすことは可能な限り求めなければいけない。
変な話、収入が低かったり、障害者の先入観的なイメージで騒がしく、毎度毎度うるさくなる、と思われたらとんだ思い過ごしである。
ヤンチャなバイクの暖機運転とか、うるさい色や香り、物音のやかましい宴会とか、単にうるさいものをうるさいと思うだけである。
それが個人的には感覚過敏で余計にうるさくなるから許容範囲が狭くなってしまう。
自分自身も騒ぎたくない程度に。私を怒らせるということはそこまでの事になってしまった、ということである。
静かに暮らしたいと思っても周囲が騒がしければとても静かには暮らせない。
自分の周りが静かになれ、というのはそんなに無理な願い事であろうか。
そもそも自然音以外は音のなかった場所に音を持ち込み騒ぎ出したのは人間である。人間のカルマである。
食事の場も同じ事である。静かであれば救われた気分になるし、うるさい空間なら生きている気がしない。
うるさくなる可能性の高い場所にはなるべく近寄りたくない。迷惑、と言えばその一言に尽きる。
誠に遺憾である。