大晦日はいつものように | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

大晦日が来たからといって特に何も変えたくはないし、変えられても困る。

長期休暇というのは子供の時には本当に有り難かったが、年をとると年末に特に変わった事をする必要性が見当たらなかったり、

かえって面倒になるのでいっそのこと休みなんて無くしませんか、などと意味不明な事を言う。

作業所の中にいればルールを守っている限り自由であるし、決められた事さえやっていればいいから私は気楽である。

然るにルールが流動的な家庭内というのは(最近減りましたが)突発的なイベントがあったり、どこかに連れて行かれたり、

私にとっての幸せとはパソコンに接続して世界の大いなる智慧の流れを手に取る(ほぼ意味不明)ことだから、

パソコンから離れるほど幸せからは遠ざかっていくのである。まあ作業所でもやることはパソコン作業なので、パソコンがないとやばい。

一人にしておけばひきこもりだと言われても何ら反論する余地もない。確実にひきこもりです。

作業所とか買い物には行っているのに、これ以上一体何をしろ、というのか。

交友関係があっても、定期的に挨拶するのも疲れるし、会うのも疲れるし、会った結果何処かに行って一日潰れるとか勘弁だし、

いつ連絡されるのかと考えると気が気でない。私は他人の繋がりから解放されたい。そして一番解放されるのが自室である。

年末年始だからといって特に誰かと話をするわけでもなく、部屋にこもって自由な境地に心を遊ばせたい訳なのであるが、

恐らく今頃家族でももっていれば反論の余地もなく家庭内に放りこまれていることだろう。

世の中には世間の喧騒をよそにして暮らしたい、何なら世の中を捨てたい、という人は一定数存在すると思うのです。

そしてその中の一人は自分なのです。誠に遺憾である。

それでは皆様方、何が良いかはしらないけれど良いお年を。