別に自閉症スペクトラムだから人から離れるわけでもない。自閉症スペクトラムを人との関係的な意味で分類しても、
自分と他人との境界線が読めず、やたらと自分のことを話してくるのを「積極奇異型」と分類される事から、
別に自分の世界に引きこもりきりにならずに、ちゃんと話しかけてくる当事者はいる。空気は読めてないが。
私が人から離れているのは当たり前の対人対応が出来ないのであれこれ迷惑をかけ、
自分が言葉遣いや行動を丁寧にしたらまだ何とかなると思ったが現実はそんなに甘くなかったので、無理に世間に対応しようとしたダメージもくらい、
順当に人間に対応するのがストレスになり関係を持つ、持続させるのに心底疲れ切ったからです。
人の数が多ければ多いほどする事も考える事も対処するパターンも順当に増えるだけなので、
人がいればいるほど落ち着きを失って丁寧さが砕かれるので自閉症スペクトラム本体が出て結局私的には大惨事になる。
なので宴会とか他人の集まった場所、公共交通機関の駅や空港、何かの催事場、行列、セール中のスーパーマーケット、
とにかく人が多ければ、一箇所に集まれば、自分のコミュニケーションの処理能力を越える。越えたらとにかく無礼極まりない。
ボクシングでガードを固めながら打っていたらガードごと殴られて破壊されるようなものである。ガード自体が貧弱だから仕方がない。
他人の集まる数が多いほど自分が無礼になる確率が上がっていくのに人前になんて出ようと思いますか。私は思いません。
時折昔を思い出すことでフラッシュバックを起こしたりするので、潜在的な精神的ダメージは確実に蓄積されている事であろう。
学生時代は丁寧さなんてなかったからダメージも素通りであるし、社会性が崩壊していたのを全部学力で補っていたから、
当然補い切れるはずもなく奇怪な人物だが勉強だけは出来るという謎の人になった。
それが丁寧さ、穏やかさを形式的に学んで何とかしようと思ったのである。そんなんでうまくいくなら自閉症スペクトラムなんて診断も要らない。
コミュニケーションが何もかも稚拙だから失敗の規模も大きくダメージもそのままなのを繰り返していたら、普通に生活するのも一苦労である。
よって今はもう人間に、親しい人間に、血縁関係にも平等に疲れてきたので断捨離できるものは断捨離できませんか、という段階にある。
そして人を断捨離する代わりに物を集めるだけ集めて物と関わり合いになりながら一生を閉じたい。
血の繋がりとか勝手に出来るだけに自分のコミュニケーションでは余計に捌ききれないからかえって厄介になりうる。
そして断捨離した結果孤独になろうと何ら抵抗もしない、むしろ一人にさせてくれ、
必要な時に必要なだけの義務的な話ならするからそれ以外はもう疲れた、解放してくれ、
などと意味不明な供述を繰り返して何とか自然に一人になれないかと模索している段階である。
ついでに一人で完結する仕事とかあれば完璧に自分の世界に籠るのだが、世の中そんなに甘くないので作業所に通いながら何とかするしかない。
子はかすがい、とは言うけれど人間関係に疲れると勝手にかすがいにしないでくれと言いたくなる。
とはいえ今親と何か新しい火種が増えたら生活保護一直線しか見えないので何とかしたいがどうにもならない。
誠に遺憾である。