障害者でも生きるために力をつけよう、エンパワーメントが必要である、とかいうけれど、
人前で何かができる権限とか権力とか特に要らないから一人にされる権利だけもらえませんか、などと言いたくなる。
社会性が低いと、人付き合いで必ずと言っていいほどトラブルまみれになるし、意思疎通が何か意味不明なものになったり、
あまりにコミュニケーションができないと人間自体がとても面倒くさい、厄介なことである、という風に心が動いていく。
赤の他人でも親でもなんでも大体同じである。他人との接点をなるべく減らして生きていけるのであればそうしたいものである。
権限とか権力とかコミュニケーション能力の低い奴にやらせると大抵独裁か狭量な行動を繰り返すだけになってしまう。
自分が散々やらかしたからよくわかる。
最低限のコミュニケーションをしろ、というならするから、最低限から無理に外に出そうとしないでほしい。
周りの人は天照大神を外に出そうと岩戸をこじ開ける役でもやらされるのか。
孤独にならないような生活スタイルを強制するよりは孤独でも一応何とかなる生活スタイルを構築した方がよいのではないか。
これから少子高齢化が進み、人が人の面倒を見ようとしても人数が足りないから出来ない、という事になっていくだろう。
現在でもバスの運転手が足りないからダイヤを縮小するとか、運送の人員が足りないとか問題が噴出している。
当然これから酷くなる一方だから他の分野、自分が関係ある分野だと福祉も同じ事になりかねない。
なので孤独であることを前提にした上で多少問題があっても一人でどうにかできる住環境を構築するべきだと私は思う。
特に人自体の存在が自分にとって気になってしまい、余計な精神力を使う、という場合には。
人と関わる上で何かとトラブルを起こしやすい人間とか無理に出してもろくなことにならない。
自分が他人を傷つけるのが嫌だから可能な限り会話と行動を減らして、
ワンパターンでもいいからきっちり作業所など外の施設に出掛けて最低限のコミュニケーションをこなして、
あとは極力一人で人との間で揉まれた精神を休ませる、くらいの孤独感が欲しい。
障害者に関する手続きとか面談とかカウンセリングも極力簡潔にビジネスライクに済ませたい。
誰かと同居していると、社会性のないのが誰かと人付き合いをしなければならなくなるし、
当然摩擦や衝突も生まれるし、コミュニケーションの部分を代わりに誰かを呼んでやってもらうわけにもいかないから、
最終的に部屋に引きこもって過ごす以外にする事はあるんですか、一人で家の全部を管理すれば自由に動けるのに、
人といるから何処から何処までが自由で権限や権力があるのか一向に掴めない、他人の間という自覚が読めないからどう行動すべきかが見えない。
私以外に上も下もなければ、全部仕切れるし、管理できるし、本当にできない事、機械の修理とか家の補修とかを任せて、
それ以外はなるべく精神がすり減らないように一人でこなしたいものである。
一人で周りに気を遣わないことが私にとってのエンパワーメントである。人に振るう権力なんて大抵碌な事にならないから。
誠に遺憾である。