親は何にも言わないけれど子は残される | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私よりもずっと重い発達障害とか行為障害とかのルポを見ていると、親が亡くなった後に子供がそれを認識できるか、とか、

親が必死に押さえ込んでいたものがいなくなる事によって解放される、みたいな古の邪悪の封印を解くような話に即なりかねないので、

基本気分が辛くなる、暗くなるような話で、おまけに自分も発達障害と呼ばれている身分だからとても身につまされる。

かと言って気楽に利用できる施設もグループホームもないし、何より施設内の人間関係が憂鬱である。

人間関係で躓いてうつ病となってからは人間関係なんて増やして何になる、と思うようになった。

特に犯罪とか自害他害行為もしないからひっそりと生きさせてくれ、無理矢理人の中に突っ込ませないでくれ、などと思う。

新しい環境がメンタルに合わなければ精神はより一層荒れるしかないのである。

別に自分に行為障害はない(あくまでも自称)が、外の環境が変わってしまうとどうなるかはわからない。

合えば一緒の空間で暮らせるとは思うが、施設である以上沢山の名目上同じ「自閉症スペクトラム」の人と過ごすのであり、

スペクトラムという言葉からして、軽度から重度、その他の併発した二次障害のバリエーションがとても大きく、

そんな一言でまとめてしまっていいの、と思うくらいには個人差が多彩すぎる。

多彩な障害を一つの施設でまとめられるのか。

せめて障害の重さに応じて部屋や棟をわけたり、集団部屋に押し込まない、などの方法はあるが、

集合住宅みたいな場所であるとパニックになった時に叩いて物音を出せば何も関係なく声や音が響き渡るわけで、

ついでに職員や利用者に危害を加えたり、施設を物理的に壊されても捕まらないけれど、その人の処遇とか本当にどうするんですか。

かといってそのままなら同居人のメンタルに悪影響を及ぼす、私など音に敏感なので物騒な部屋に住むとたちまちに病んで出ていく事になるだろう。

そういう場所で働く職員の方々には頭なんて上がるはずもない。

しかしその時私でさえも移れる場所なんてあるのだろうかと思う。なければそのまま住むしかない。

その前に高齢者の施設に人が取られて障害者施設なんて資格もなければどうやって確保できるのか。

そもそも街中に障害者施設がなければ、障害者はどう地域社会で暮らせばいいの、となる。

障害者施設を建てる前段階で反対に遭うというのも、一番頭で書いたような重度の行動障害で他害の巻き添えなんて喰らいたくない、

防御してもそこから更に危害を加えられたらどうするのか、と不安になるのも理解できる。

しかし施設も抱え込める環境も何もなければ、障害者はどうするのか本当に気の重くなる話である。

結果的に自分に最善なのが親と同居して、静かに暮らす事なのであるが、いずれ親がいなくなればどうなるかわからないのは私も同じである。

田舎なのでそもそも入所できる施設がない、何処か本当に離れた街中の施設の空きでも探すしかないのが現状である。

そしてその方が私の精神的には悪いだろう。

何度も書いているように私は山奥でひっそりと暮らしたい側の人間である。

賑やかな場所なんてたまに行くくらいでいい。過剰な人混みを摂取するとメンタルがやられる。

千差万別の障害者を一気に管理運営なんて甘い都合のいい場所なんてない。

障害者自体が訳の分からないものの塊、と言えば身も蓋もないが、自分もその内の一人なので出来る限り迷惑はかけたくない。

だが現実にはおおよそ不可能である。人情が嫌なら国の出す制度にでも寄りかからなければ生きてはいけない。

一人で生きようとしてもとても最期まで行けるとは思わないので最悪生活保護にホームヘルパー、

その先は私としては不服だけれど施設への入所も考えなければならないだろう。

あまり考えたら憂鬱になるが、あまり話が先走っても植松聖みたいなのがいつ現れやしないかとか暗澹たる気分になる。

誠に遺憾である。