「お客様は神様」なんていうセリフにどれだけ惑わされて来ただろう。残ったのは心の疲れである。
客商売ならともかく、ものづくりとか農業とか本来コミュニケーションをさほど求められない職種でも、
今は様々な場面でコミュニケーションをしなければならない。
昔ながらの頑固職人が頑固になれないで人と話をしたところで頑固なのだから話が進まない、出来上がったものが黙っても売れるなんて思わないが、
店に並べればよかったものが、余計な手間が増えたり交渉をしなければならなかったり、
それから情報化社会に乗り遅れないようにIT関連の技術をある程度身につけなければいけなかったり、
要するに「やることが…やることが多い!」という世界が今なのである。
年貢を納めていれば後は自由、なんてものはなく、自分の物を売るために色々手を尽くさねばならない、
そういうのこそ、作る人と売りだす人とアフターケアなどお客様対応が別部署でもいいくらいなのに、
今はなるべく少人数にするから、出来ることと出来ないことも分けられなくなり、
不器用な方の対応が本当に拙ければ炎上して色々と終わる。
「自分、不器用ですから」でやらないことはやらない、という選択肢がない。特にコミュニケーションの分野で。
クレーム対応とか下手をしたら熟練の人でもミスをしかねないのに口下手な人間が、何処かの技術に特化した人間がやるべきことなのか。
物を作れば終わり、にならないからこの世は何処までもややこしい。
ややこしいところをグダグダにこなしていたら自分の本当にできる分野なんて一向にわからない。
その前に自分は自閉症スペクトラム(昔で言うならアスペルガー症候群)と言われましたが。
コミュニケーションに障害があるなら一人で何か作らせてくれ、と言うのもままならず、
最低限のコミュニケーションでもこなさなければいけない、というのは、
手先が不器用な人間に緻密な手作業をやらせたり、特に運動が得意でもない人間にスポーツ大会への出場を強制するようなものである。
何故コミュニケーションだけやらないでは済まされないのか。
別にアーティストになるわけでもないが、出来ることがちゃんと出来ていれば無理に話さなくてもよい、という事にはならないのだろうか。
誠に遺憾である。