魂のさまようこと | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

一体何が美しいものであるのか。

世の中の信じられないような事件や事故の話を聞くたびにそう思う。

世の中美しくないものばかりである、とため息をついても何も始まらないが、

吊った鉄骨の上に人が乗って作業していたらその鉄骨が落ちて亡くなりました、とか、

冗談にも程があるとしか思えないが実際に事故が起きて報道までされているから疑いようもない。

果たして文明というのは幸せなのか。知ってしまったことに関しては、知ったことでより不幸になりはしないだろうか。

科学的な、客観的な事実はある程度知っておいた方がいいとは思うが、その他の精神的な、主観的な事柄についてはどうであろうか。

何かのスキャンダルを他人事かと喜ぶような人にはなりたくないと思っていたが、

そうはなっていないが満遍なく考えると思っていたほど自分も美しくない。年を重ねて勝手に頑固さに磨きがかかっていく。

何を知ることが人にとっての幸せであるのか。まさか事件や事故が幸せではあるまい。

とりあえず私にとって美しくない存在は見えないところで勝手にしていればいい。

近づきさえしなければいい、関わりさえなければいい、なんて言うのは決して美しくはないだろう。

しかしそうしなければ心が乱れてやまない。

本当に魂が美しいというのは、やろうと思えば出来ないことだらけである。

美意識、美学に反する人間は受け入れ難いし、接しても喧嘩の種ばかりが増えていく。

根本的な価値観が噛み合わないものをどうやって合わせればいいのだろうか。

言わないで避けていれば精神的に幸せであるが、人間として美しくはない。

どこまでも美学を貫こうとすれば近くに人はいなくなる。そうならざるを得ない。

でもやはり美学のくせに全く美しくないという自己矛盾を抱える。

だが人とある程度関わらないと精神的にはもっとダメになる。

ダメになるとはわかっていても、本当にそりが合わない人ばかりと出会っていると生きていて虚空を見つめたくなる。

なんで人が選べないのでしょうね、などと意味不明なことを喚きながら時は過ぎていく。

誠に遺憾である。