なんか最近家庭内で子供が親のトラブルを起こして傷害事件を起こして怪我をさせたり病院送りになったり最悪死亡したりする。
実家住まいの手前自分も全く他人事ではありませんが、家を出るとしても社会的な基盤がないから出られない訳であって、
そこには障害やグレーゾーンを含めた隠しても意味があるのかどうか、みたいな問題も含まれるように思われる。
実際発達障害(自閉症スペクトラム)で対人関係に失敗して心に何かダメージが入り、
新しい人との関わりを恐れるようになったり、やってもうまく行かなかったり、それで更にダメージを受けて外に出るのも億劫になるとか、
なんかもう家で手に負えない事は福祉とか精神医療の領域じゃないの、などと、
実際グダグダになって心療内科に通い続けて障害者福祉のお世話になっている人間は思う。
なんかバツが悪いとか精神的な病名がつくのはどうなのかとか言われるが、
そんな事に細かく拘っていれば受けられる福祉サービスも受けられなくなるし、
体裁とか面子に固執する事によって家庭が崩壊するのであればそんなメッキのような面子なんてなくなってしまった方がいいだろう。
そういう自分も診断前後は結構荒れて何かと親と言い争いをしたりもしていました。
自分が不安定な時に不安や苦痛を平和的に解消できる手段を外に求めていかなければ刃は家庭内に向けられるだけである。
社会で普通に生きようとしてあれこれ工夫して色々やったけれども普通には生きられないと察した時、
プライドも何もかもかなぐり捨てて精神医療の門を叩けるか、と言われたらやはり最初は抵抗もあるかもしれないが、
それで何もなければ何もないで済むし、何かあればそこから新しい繋がりと補助を受ける手続きを進めればいいわけで、
精神科に行ったから全てが終わる、ような間違った先入観だけは払拭されるべきである。
今やこれまで発見されなかった発達障害が診断されて数が多くなったように見えるだけで、
実際当時に子供の発達障害の概念さえあればそっちに行っていた子供とかそれなりにいただろう。自分のように。
家庭内で管を巻くには巻くだけの理由があるのだと思います。そしてそこには家庭内だけで何とかならない問題も多分にあると思います。
ケアって一体何なんでしょうね。親もいつまでも健康でもないし、老化や認知症や五感の衰えとか、目に見えてくる時期に、親の力だけで何とかなる、
というのは幻想になっていくだろう。なっていかないといけない。それらしき病気の気配のある人は家庭内全員そのように対処しなければならない。
病気は汚点でもなんでもない、今現在のその人個人における状況、くらいの認識で、
病名をつけられるのをやけに恐れたり、ついてもサービスに繋がることを拒否されたり、
人間というのは一体何なのか、ということには色々あると思いますが、何も出来ないで家にいるのであればやはり何らかの原因はあると思うのです。
自分の場合たまにそういう自分に嫌気がさして家から出たくなる衝動に駆られますが、
冷静に考えれば障害があって収入の基盤もないのにどこに行けるのか、と結論が出て憂鬱になります。
それでも必要な福祉サービスは可能な限り受けているので、親族以外の人との繋がりが全くない訳ではありません。
必要な時は精神科医なり福祉施設の担当なり作業所のスタッフなり相談相手もいるので、不必要に孤独になることだけは避けられている。
福祉に生かされていると言っても過言ではないですが、障害者福祉に対する抵抗とか偏見とかラベリングとか早急に無くなることを望む。
心の中身がちゃんとわかれば、そこで自分を見つめ直す機会にもなると思うのである。何かのきっかけの芽を摘んではならない。