今年もいつも通り24時間テレビが始まります。
別に障害が見つかる前でもああいう御涙頂戴のわざとらしいドラマとか、
何か知らないけど勝手に舞台に上げられたり、前面に出された障害者とか、
見ていて気の毒だと私は思ってしまうから、ああいうのは見る気がしない。
そういうことを言っていた奴が実際に障害者になって何か心境が変わりましたか、と聞かれたら、
いや相変わらず御勘弁なんですけど?と即答して帰宅するだろう。
何かのステージの上に半強制的に上げることが救済なのか?
静かに過ごせるように静かに支援を行ったり寄付金を集めるのが筋道ではないのか?
どうして傍目からすれば特に異常もなさそうな発達障害を引っ張って来ないで、
偏見だと自分でも思うが見た目からして障害者ですと一目でわかる知的障害、四肢欠損、視覚聴覚、ダウン症、
それから背骨の狭窄や変形、見た目だけで取れ高を狙っているような姿勢が気に入らない。
要するに自分のいるカテゴリーである発達障害、もう少し広げれば鬱病やその他の精神障害、大体後天的に発症した精神的なもの、
という分野に手が伸びることもほとんどないので片手落ちだと言いながらああいう番組には触れないで過ごしている。
なんか見ようとすると共感性羞恥になってますます見ていられなくなる。それは本心なのか、誰かにそそのかされたりギャラ狙いでないか、と。
私が単に目立ちたくないから、名前も隠して障害の名前だけ明らかにして、毒のない内容もちゃんと選んだ上で、
この番組とは全く関係のない障害者フェス(芸術祭のようなもの)にこういう書いた文章を投稿したこともある。
何から始めたらいいか、何をすればいいのか、どうすれば存在感の薄い障害の具体例、何を考えているのかがわかるようになるか、
なんの足しにもならないけれど私がブログをやっているのは大体啓発的な意味である。
如何に目立たないで主張できるか、みたいな訳の分からないことを言っているが、
かと言って年に一回だけチャリティーでわざとらしく取り上げられるのも違うと思うのである。
それならもっと定期的にやってくれ、と。残りの364日は一体どうすればいいのか。
あと芸能人はノーギャラで、またはギャラ全寄付で。そういう番組に出るということはそういう覚悟のある人ですよね、と言いたくなるわけである。
私は目立たない方がやりやすいので隠れてやって行きますが、
何でこのテレビ番組が半世紀近く継続されているのかも私にはわからない。
最初の方こそ意義があろうが、マンネリ化して、わざとらしく演技をして、何をごった煮しているのかわからない寄せ集め、
とりあえず障害は見世物でもなんでもないのです。そこに生きている人がいるだけである。私も含めて。
誠に遺憾である。