最近の発達障害って診断が随分杜撰なんですね。
これで発達障害になるのだったら私が診察にかけた数ヶ月間とは一体何だったのだろうと思う。
自分は成人後に自分を一人で精神科に運んで行って診断をお願いします、と頼んでから、
病院での聞き取りの後、専門機関でのWAIS検査兼カウンセリングと周囲の人(家族)への聴取をして生育歴などの聞き取りをして、
三ヶ月かけて広汎性発達障害の診断が出ました。実に丁寧で手間をかけた診察なんだなと思いました。
上の記事を読むと別な病院の通院歴と簡単な聞き込みで即診断、その後は多剤処方、と、
福祉的サービスに繋がらないのを繋げるならやむを得ないかもしれないが、それにしても性急で雑だなとは思う。
発達障害は投薬して放置して終わるような簡単な障害ではないのです。
むしろ診断された後の人との関わり、社会との関わり、障害者手帳や年金を含め、どのような福祉サービスの方法が適切か、
試行錯誤してこれがよい、という方法に落ち着くまで、決して手の抜けるような問題ではありません。
薬を飲んで学校や社会に戻れます、なんて簡単な問題ではないのです。それなら障害なんて名前などつける必要もないだろう。
あるいは家庭環境が本人にとってストレスな環境であるとか、家の姿勢も病状に影響するので、
家族全体を含めた聖域なき構造改革が必要になるのだと思います。
ADHDなどでは投薬によってある程度の治療は見込めますが、その他の発達障害、
例えば私が飲んでいるのは抗不安薬と睡眠導入剤くらいなもので、実際自閉症スペクトラムに直に作用する薬はないのでどうしようもありません。
発達障害でトラブルや不適応を起こした後の二次障害に対応する、適応障害とか社会不安障害のための薬があるだけで、
そういう症状の経過を確認しないままでいたずらに薬を増やしたり強くしたりしても、薬に作られたような人格が出来上がるだけです。
実際自分でも抗不安薬をいろいろ試して、本当に合わない物は一日中その場に立っていられないほど眠くなったり、
全身の倦怠感で地面をゴロゴロ転がる以外にする事がなくなってしまったり、
夜中に変なテンションになって余計に多動になってしまったり、
人それぞれですが、薬の作用も正しくなく、副反応にも振り回される状態が、その人本当の人格とは言い難い訳である。
今は何でも簡単に診断される、とかいいますが、
それなら自分が学生の頃多動と不適切な行動で周囲を振り回していた頃に精神科に出して欲しかったと思うわけであります。
まあその頃は発達障害という概念に対する認識も進んでいなかったから仕方ない所はありますが、
今考えてもどう考えても日常生活が異常というか不適切の塊みたいな存在だったので、
早期診断、早期治療が必要かつ重要なことは言うまでもありません。
ただ、雑にやられたら上の記事のように自他共に歪みが大きくなってかえって大変なことになるので、
セカンドオピニオンとか、よい医者の選択は本当に重要なのだと思いました。
あとは性急にならず、ゆっくり経過を見る事が重要だと思います。心はすぐには方向転換できません。
薬もすぐに効いて何とかなる、という幻想もない。
診断させることが目的だと言うならば、単なる手抜きだろう、と思われても仕方がないだろう。
私は大人になってから診断されたのでどうするかある程度判断できましたが、
子供の頃に診断された場合に判断ができたかなんて言えないので、周りが適当なことを言って振り回すのだけはやめてほしいと思う。
誠に遺憾である。