なんかもう社会的なルールに鈍感な人がいたら近くに寄りたくない。
感情的に不器用だから尚更近寄りたくない。不良というかアウトサイダーというかなんか危なっかしいのとは対極にいたい。
別に自分が文化的だとか模範的だとか名乗るわけでもないが、規則がないと勝手に何処かに行って帰ってこない精神構造をしているので、
逆に規範とか模範とか規則とかガッチリしていれば何処から何処まで行けるのかが判る。
そうでない規則なんてクソ喰らえみたいな人は存在が規則に反しているので、
私はついて行くべきではない。赤信号は怖いものは怖い。皆で渡ろうが怖いものは怖い。
普通に歩いていても居眠りとかよそ見とかで規則を破っている車が一台歩道にはみ出れば、遠慮なく轢かれるわけである。
かと言って外に出歩かないで生きていけるはずもない。生きるために何かをしなければならない。
なんか変な奴の(自分も変な奴ですが)片棒を担いで何かした挙句責任を負わされたらとてもお詫び出来る何かもない。
従って最初から危ないのには近づきたくないが、人間色々あるため、全部の希望なんて通らない。
ちょくちょく自分から見たら道から外れている美しくない、要は美学に反する人間にも必ず何処かで出くわすわけである。
同じ場所にいれば同じ屋根の下全く会わないでやり過ごせるはずもない。しかし気に食わないのは気に食わないので、
さりげなく避けたいが何かと不機嫌な仕草は隠せない。
感情とか実に常にもろ出しなようで、感情的に不器用というのは、出すのが苦手だったり隠し通すことも苦手だったりするのです。
場の状況に合わせて臨機応変、が失敗して臨機横転したりするわけでございます。
社会を乗り切るにはその辺の柔軟さがどうしても必要になってくるわけで、真っ先に柔軟性が欠落した自分には、
何かに逆らって動くことは到底できないし、そもそもルール通りに動こうとしても微妙にズレるので、
ルールから外れるお誘いというのはなるべく拒否して生きていきたいと思います。
なおそれでも外れる時はあっさり外れます。誠に遺憾である。