ここでグダグダ書いてある通り、私自身何が成功したか、なんて成功経験はほとんどありません。
テストの点数だけが私の救いみたいなことになってしまうでしょう。
一回大学を出てから障害者手帳がでて、もう一回自分を見つめ直すのに作業所に通いながら放送大学で好き勝手に単位を取得して帰ってきた。
中身は障害者福祉に関係するもの、要は自分のこれからの身の振り方、それから哲学倫理学宗教学、これはいつでもやりたかったもの、
それから言語、中国語と韓国語とアラビア語とラテン語とか本当に手当たり次第に何かを選んで履修して帰ってきた。
読み書きはできません。あくまで雰囲気的、教養的なものである。
その時やりたい事をやろうとして手抜きはしなかった結果がこれである。
お前は何処に行きたいのか、と言われたらその時行きたいところ、と答える。
何か一貫しているところがあるとするならば、自分だけを深く掘り下げて何かを探そうとしている事ぐらいだろう。
誰かに還元したり、利益や金銭目的でやっている事ではない事は確かである。
もし誰かの利益になったとしたら本当に偶然でたまたまであり、全く意図的ではない。
もし利益とか考えることがあれば哲学なんて手を出さない。ビジネス的な講義や経済学とか心理学でも触れていた方がいい。
それをやらないのは単に私にとって大切なものではないからである。そんなことよりもっと大切な何かがあると感じるからである。
そもそも交渉とか折衝とか渉外とか一番苦手にする障害の人間が下手なスキルを身につけて一体何をしようというのか。
大火傷をするだけである。
世間一般的な成功、価値観というのは、私にとってはとりあえず投げ捨てて山に篭りたくなる類のものである。
人が寄ってくるだけでとても疲れる。実際身体にも影響が出てくる。
そんなのを無理矢理外に連れ出して強制的に人と関わって何が残せるというのか。
残るのは汚名と屈辱と絶望である。
表に連れ出されないでこっそりと生きられるなら優先的にそうするだろう。
私の成功とかいうのがあるなら自分が自分の中に見出すしかない。
比較するなら私の目の届かないところでプライバシーを伏せてやって頂きたい。人前であれこれ、というのはご勘弁願いたい。
まあ、ヘンリーダーガーのように亡くなってから自作品を持ち出されて晒されてあれこれ言われるのもどうかと思うんですけどね。