師についてはいけない類の人間 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

何かに興味を持って色々始めたりするし、実際あれこれ手を出しすぎて収拾がつかない時もあったが、

大体どんな事を始めても、師匠とか先生とかいうものにはつかない。

ついた方がいいのはわかっているがつかない。別な意味ではつけない、ともいう。もっと言えばついてはいけないともいう。

自分でも厄介な人間であると分かっているから安易に人に触れるわけにもいかないし、

師匠につくとなれば、師匠だけでなく周囲の門下生とかとも関わることになるわけで、

そうなると対人関係に問題があって常識が欠けているのが症状の発達障害の人間には、

渡り歩くのは本当にきつい。一対一だけならまだしも、一対多は本当に能力の限界を超えている。

自分だけで処理できるような問題でもない。

かと言って自分のやっていることに自分の福祉担当者やメンターを連れてプライベートまでどうにかして、とは言えないので、

結局一人で何とかするしかなく、結果として個人での活動は本当に個人的な活動になる。

誰か先達の本や記事を読んだり、動画を見たり、それらについて一人でじっと考察したり、

本来皆でやるべき事も一人でやらなければならないので、非効率の極みであるし、当然進みも遅い。

しかし人前に出れば他人に迷惑が掛かる。非難や批判も人一倍喰らう。当然メンタルも削られる。

人前に出ても傷がつかないような性格ならまだしも、あれこれ細かく気に病んで憂鬱になりがちな性格だから、

勝手に外に出ては勝手に気を病んで帰ってくるわけで、精神衛生的にも決して良くはない。

最終的に誰ともアクセスせず、一人でこっそりと修行するしかない。

そして何か変な方向に進み独自色しかない作風になるのは毎度のことである。

しかしそうでないと楽しくもないし厄介ごとばかり背負ってしまうのでそうするしかない。

誠に遺憾である。